芝・東京プリンスホテル「御成門(旧増上寺)」

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御成門

造営年:1598年頃(江戸時代初期)
再建年:1892年(明治25年)※移築
門の建築様式(造り):高麗門
所在地:港区芝公園3-3
所有者:東京プリンスホテル(西武グループ)

御成門の名前の由来

この御成門の名前の由来は、江戸城から増上へ参拝した場合、もっとも最寄りの門になることから、主に将軍さまが御成(参拝)になる際に使用された門として「御成門(おなりもん)」と命名されています。

しかしながら、かつては現在の御成門交差点に建っていたとされ、これは増上寺からすれば裏門になりまする。

御成門の歴史

1892年(明治25年)に旧・東京市の区改正計画の一環により、内幸町から増上寺三門(三解脱門)を経て芝公園へ至る道路(現・日比谷通り)が敷設されたため、当地に移転される運びとなっています。

なお、太平洋戦争の東京大空襲により、増上寺境内は灰燼に帰していますが、奇跡的に増上寺の顔をも呼べる三解脱門はじめ、旧庫裡門、二天門、御成門のほか、旧台徳院霊廟の勅額門、丁字門(現在は埼玉県所沢市・狭山山不動寺境内)が現存するのみです。

⬆️御成門の裏側。周囲に鉄柵が張られており進入禁止。

看板の内容

増上寺(徳川家菩提寺)の裏門としてつくられたが、将軍が参詣する際にもっぱら用いられたので「御成門(おなりもん)」と呼ばれるようになった。
初め「御成門」は現在の御成門交差点にあったが、明治25年(1892)の東京市区改正計画で、内幸町から増上寺三門を経て芝公園に至る道路が新設された際に、この市に移築された。
その後、増上寺三門や旧庫裡門・徳川家墓地の惣門・ニ天門とともに、関東大震災や太平洋戦争の戦火から難をのがれて今日に及んでいる。

昭和48年3月  東京都港区教育委員会

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