東京 愛宕神社境内の石碑群一覧

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石碑とは神社やお寺の境内に建てられているものですが、石碑は金属物質ではないので、太平洋戦争時の供出を逃れたものが多く、はたまた石という性質であることから、悠久の年月を経た歴史ある石碑も散見されます。

愛宕神社境内にも石碑がいくつかありまする。

中には年代物の石碑もあるかもしれませんので、ぜひ、探してみてください。

桜田烈士愛宕山遺跡跡碑

  • 昭和十六年(1941年)建立

桜田烈士とは、1860年(安政7年)3月3日に桜田門外の変で大老・井伊直弼を討ち果たした一連の事件に首謀者たる18人の武者のことです。

この事件では、薩摩藩士1人と水戸藩を脱藩した17人の合計18人の烈士たちが、この愛宕山山頂に参集し、大老・井伊暗殺のために桜田門へ向かっています。

なお、桜田門の場所は、現在の東京都千代田区霞が関あたりになりんす。

刻銘

桜田烈士愛宕山遺跡跡碑

東京市長 大久保留次郎書

側面の刻銘その1

此ノ地ハ萬延元年三月三日昧爽水戸藩士斎藤監物 関鐵之介 佐野竹之介 黒澤忠三郎 大関和七郎 廣岡子之次郎 山口辰之介 森五六郎 岡部三十郎 鯉淵要人 稲田重蔵 杉山彌一郎 蓮田市五郎 森山繁之介 廣木松之介 増子金八 海後磋磯之介 薩摩藩士有村次左衛門等天下ノ為ニ幕閣ノ大老井伊直弼ヲ斃サントシテ勢揃ヲ為セル處ナリ
抑々櫻田事變ナルモノハ水薩ノ志士協力シテ井伊大老ヲ斃シ後直チニ京都ニ結集シ 至尊ヲ奉シテ天下ニ大義ヲ唱ヘントシタルモノナリ
金子孫次郎 高橋多一郎ノ二領首ハ機ヲ逸セス京阪ニ赴キシモ事ハ齟齬シテ薩兵来ラス終ニ金子ハ京都伏見ニ捕ヘラレ高橋ハ其ノ子庄左衛門ト共ニ大阪四天王寺ニ居腹ス
然リト雖モ斯ノ一擧遂ニ克ク三百年ノ幕府政治ヲ倒壊セシメ以テ皇政維新皇国興隆ノ新體制ヲ招来スベキ導火線タルノ偉功ヲ樹タリ
然ルニ世人櫻田門ノ史蹟ヲ知ルモ事前ニ於ケル烈士愛宕山上勢揃ノ事蹟ニ至ツテハ■乎トシテ之ヲ識ル者ハ殆ト殊ナリ吾人其ノ遺蹟ノ湮滅ニ歸セントスルヲ慨シ此ニ碑ヲ建テ来者ニ諗クルアラントス




側面の刻銘その2

皇紀二千六百一年三月三日 建之
櫻田烈士遺跡顕彰會長 三木哲次郎
故貴族院議員 室田義之
貴族院議員 徳富猪一郎
財団法人多摩聖蹟記念會長 長尾欽彌
芝區有志 茂又四郎介
同 茂又幸雄
大東文化學院教授文學士正四位 峰間信吉撰
金子孫次郎孫法學士 金子榮一書

狂歌合長者園撰

  • 1864年(文久3年)建立

桜田烈士愛宕山遺跡碑の隣には、「狂歌合長者園撰碑(きょうかあわせちょうじゃえんせんかひ)」と刻字された台形の石碑が建っています。

石碑上部には左から恵比寿、中央に弁財天、右に大黒天が描かれています。大黒天の上には”蜀山人”の刻字が見えますが、これは天明期の狂歌師・大田南畝(蜀山人)狂歌です。

下部には、右から社頭霞、中央に愛宕山、左に甲子の狂歌が刻字されています。

狂歌とは「きょうか」と読み、これは社会風刺などを面白おかしく詠んだ短歌のようなものです。

殉皇十二烈士女之碑・弔魂碑

殉皇十二烈士女之碑

「殉皇(じゅんこう)」とは天皇のために命をかけるなどの意味です。




弔魂碑(碑文)

昭和二十年八月廟議降伏に決
するや決起して内府木戸邸を
襲ふ 転じて愛宕山に篭り所
在の同志と呼応天日を既墜
に回さむとする者 即ち尊攘義
軍十烈士   しかれども遂に
二十二日午後六時 相擁して
聖寿万歳とともに手榴弾を擲
ち一瞬にして玉砕す 時俄に
黒風暴雨満山を蔽ふ

二十七日払暁 同じき処に座し
て二夫人亦従容後を遂ふ
忠霊芳魂 永遠に此処に眠る
遺烈万古尽くる時なからむ

天なるや 秋のこだまか とこしえに
愛宕のやまの 雄たけびのこゑ

これは当山で起こった「愛宕山事件」で亡くなった方の供養碑です。愛宕山事件とは1945年(昭和20年)8月15日に起こった事件であり、日本がポツダム宣言を受諾し、全世界に降伏を宣言した時、これに反対した民間団体「尊攘同志会」がこの愛宕山に立て籠もり、全国に降伏反対の決起を促します。

しかし、警官隊約70名に包囲されてしまい、最終的には手持った手榴弾やピストルなどで自決をはかります。中には婦人が2人いたようですが、当地にてピストル自決をはかっています。

起倒流拳灋碑

「きとうりゅうけんぽうひ」と読みます。

この石碑は起倒流の門弟により1779年(安永8年)に建立された石碑になりまする

「起倒流(きとうりゅう)」とは、江戸時代初期に国昌寺(こくしょうじ/港区芝※現在の正山寺/しょうさんじ)に滞在していた中国・明のケンポ〜の達人「陳元贇(ちんげんぴん)」もしくは「起倒治郎左衛門」が始祖とされる流派の古柔術です。アチョぉっ!アタタタタた!!フぉアじゃ〜っっ!

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‥‥‥。

現今の日本の柔道はこの起倒流が起源とも言われます。

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