靖国神社の茶室「行雲亭」と裏千家茶道教室

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靖国神社の茶室「行雲亭」

読み方

  • こううんてい
造立年

  • 1933年(昭和8年)6月25日
設計者

  • 内藤太郎・柳井平八

靖国神社の茶室「行雲亭」の歴史(由来)

茶室「行雲亭」の前身は日本刀鍛錬場

1932年(昭和7年)、日本刀の鍛錬・技術保護のため、財団法人日本刀鍛錬会が設立され、翌年6月には同会により、日本刀鍛錬場が建てられました。

設計は、伊東忠太と共に遊就館本館(旧館)の設計にも携わった、陸軍省建築課技師の内藤太郎と柳井平八が担当しました。

これが、行雲亭の前身です。

1987年(昭和62年)9月には、5つあった鍛冶場の全てが茶室に改装されました。

屋根上の吹き抜けなどは、鍛錬場の建築様式を引き継いでいます。

財団法人日本刀鍛錬会とは

明治維新と共に、軍事面でも西洋の様式を取り入れ発展を試みていた日本にあって、日本刀を取り巻く環境はどんどん厳しくなっていました。
そんな中、日本刀を鋳造する場所を整え、有事のための軍刀を整備すると共に、国民の「愛刀心」向上などを目指し、1932年(昭和7年)、日本刀鍛錬会が発足しました。
理事長には歴代の陸軍次官が就任し、延べ11名の刀匠(とうしょう)と21名の先手(さきて)からなる刀工集団を中心に組織されました。

刀匠・先手とは

刀匠とは、刀を作る職人、いわゆる「刀鍛冶(かたなかじ)」のことです。
先手とは、刀を作る際、焼けた玉鋼に大槌(おおづち)を打ち下ろす役割の人です。
焼けた素材を叩いて延ばし、それを折り返したまた叩くという工程を繰り返すことを「鍛錬」といいます。




靖國刀と日本刀鍛錬場の歴史

この日本刀鍛錬場では、終戦までに8100口もの良質な日本刀が製作され、「靖國刀」と呼ばれました。

また、靖國刀を作った刀匠たちは、「靖國刀匠」と呼ばれました。

靖國刀匠には、陸軍大臣より「靖廣」「靖徳」「靖光」「靖利」など「靖」の字を冠する刀匠銘が授与され、それぞれの刀にその銘が刻まれています。

靖國刀「靖献(やすたて)」
靖國鑪(たたら)開設

しかし、1925年(大正14年)には、日本古来の「たたら製鉄」は途絶え、日本刀の材料となる高品質の玉鋼(たまはがね)が手に入りにくくなりました。

そこで、日本鍛錬会は、古代から良質の砂鉄を産出していた島根県仁多郡横田町に、1933年(昭和8年)、「靖國鑪(たたら)」を開設しました。

靖國鑪で生産された玉鋼は50t以上に及び、靖國刀の製作を支えました。

終戦後の靖國鑪

終戦を迎えると、日本刀の製作は一時的に禁止されましたが、1953年(昭和28年)には再開されました。

靖國鑪の操業は1945年(昭和20年)で終了していましたが、靖國鑪の技術を継承し、作刀技術を保存する目的で「財団法人日本美術刀剣保存協会(日刀保)」が「日刀保(にっとうほ)たたら」として、1977年(昭和52年)に復活させました。

日刀保たたら

日刀保たたらで生産された玉鋼は、現在、日本刀だけでなく、茶の湯の釜の材料として用いられたり、東大寺南大門の仁王像の修復などにも使用されています。

玉鋼




靖国神社の茶室「行雲亭」の裏千家茶道教室

靖國神社の行雲亭では、曜日ごとに都内の茶道教室から講師を招き、裏千家の茶道教室が開かれています。

個人・団体の別や経験の有無を問わず、誰でも入会できます。

無料で見学させてもらえますので、興味のある方は、ぜひ一度、お問い合わせください。

場所

  • 靖国神社「行雲亭」
スケジュール

  • 曜日:月曜日~土曜日 ※講師は曜日担当制
  • 時間など:月3回、10時~19時、時間内で自由参加

※開講時間は曜日により若干異なります。
※祝祭日は開講日が変更になる場合があります。

入会金・月謝など

  • 入会金:5,000円
  • 月謝:1か月8,000円(3か月分前納)
  • 水屋料:1か月2,000円(3か月分前納)
申し込み方法など

靖国神社の茶室「行雲亭」の場所

行雲亭は東西に長い独特な形をしていますが、入口は東側にあります。

遊就館の方から神池庭園に向かう途中、相撲場手前の啓照館入口の隣です。

神池庭園には、他に洗心亭・靖泉亭という2軒の茶室があります。

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