靖国神社「招魂斎庭」

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靖国神社「招魂斎庭」

東京・靖国神社に、「招魂斎庭」という特別な場所があるのをご存知でしょうか?

今は史跡となっている招魂斎庭の歴史(由来)や、招魂斎庭で行われていた「招魂祭(招魂式)」などについてご紹介します。

靖国神社「招魂斎庭」の歴史(由来)

招魂斎庭(しょうこんさいてい)は、かつて、戦没者の御霊を英霊として本殿に合祀する前に、神霊を迎え入れるため、前夜に招魂祭(招魂式)を行った場所です。

招魂斎庭は(明治7年)8月、第2回の合祀祭を行うにあたり、現在の社務所がある辺りに最初に設けられました。

その後、1874年(明治36年)に拝殿の南側(鎮霊社付近)に移転し、1876年(明治38年)の臨時大祭から使用されました。

鎮霊社付近の旧招魂斎庭

しかし、日中戦争勃発後、参列する遺族が激増して手狭になり、1938年(昭和13年)4月、國防館(現靖國会館)の西側に移され、戦中および戦後合祀の際の斎場となりました。

かつての招魂斎庭(絵葉書)

1945年(昭和20年)11月20日には、靖国神社史上最大規模の臨時大招魂祭が斎行され、天皇陛下も行幸されました。

その後は日本国憲法が制定され、日本は戦争に参加しないこととなったため、招魂祭も開催されなくなり、広い招魂斎庭はしばらく使われていませんでした。

1985年(昭和60年)には、招魂斎庭の大部分が月極駐車場になり、現在は浄域のみが招魂斎庭跡として縮小保存されています。※月極駐車場は、現在は参拝者用駐車場となっています。

駐車場入口から見た招魂斎庭跡
第2回合祀祭とは

1874年(明治7年)8月の合祀祭では、同年2月の「佐賀の乱」の官軍戦没者が合祀されました。

この時行われた臨時大祭で、初めて招魂斎庭が設けられました。

なお、第1回の合祀は1869年(明治2年)6月、靖国神社(当初は招魂社)が創建された際に行われました。

この時は、戊辰戦争(戊辰の役)の官軍戦没者3,588名の招魂祭が斎行されましたが、当時は別に斎場を設けず、本殿に直接「招魂」していました。

臨時大招魂祭とは

終戦後間もない1945年(昭和20年)11月の臨時大招魂祭は、満州事変、日中戦争、太平洋戦争で亡くなった軍人や軍属で、まだ合祀されていない人々を、一括で仮に合祀するための祭祀でした。

その後、個々に調査を行い、氏名や所属部隊などが判明し次第、霊璽簿に記入し、毎年の秋季例大祭で本殿に合祀することになったのです。

この臨時大招魂祭には、幣原喜重郎総理大臣、陸海軍大臣、各国務大臣、遺族らが参列し、天皇陛下を始め各皇族方も参列されました。

また、連合軍最高司令部(GHQ)からも計3名が列席しました。


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招魂祭(招魂式)とは

招魂斎庭の面積は約700坪(約2300㎡)で、正面に鳥居を建て、庭内には清砂を敷き、中央の一段高くなったところに縦三間(約5.5m)、横4間(約7.3m)の「浄域」を設けていました。

※面積比較※

約700坪・約2300㎡・・武道館アリーナ(2513㎡)とほぼ同じ。

招魂祭は、この浄域に黒木(皮付きの木材)で仮殿を造立して行われました。

深夜の招魂祭の様子(絵葉書)

靖国神社の本殿では、戦没者の御霊を「英霊」として祀っていますが、御霊を御祭神(英霊)とするために、まず招魂祭が行われます。

招魂斎庭の祭壇に「招魂」された御霊は、御羽車(おはぐるま)と呼ばれる神輿で本殿まで運ばれます。

その後、本殿では霊璽簿と呼ばれる名簿に新たに祀られることとなる英霊のお名前を書き加え、本殿内陣に合祀するのです。

なお、靖国神社内にある博物館「遊就館」の展示室9には御羽車が展示され、1940年(昭和15年)の招魂祭の様子が再現されています。

ところで、ご紹介した通り、招魂斎庭は、厳密には「招魂斎庭跡」という史跡で、今は祭事に使われることはありません。

日本国憲法(第九条)下では、新たな戦死者・戦没者は出ないはずだからです。

ただ、太平洋戦争で亡くなった方のうち、身元が判明していなかった戦没者を、氏名をはっきりさせた上で新たに合祀するということは、今なお続いています。

仮の合祀祭は1945年(昭和20年)の臨時大招魂祭で終えていますので、その後招魂祭は行われず、合祀するための霊璽奉安祭という祭事が、毎年10月の秋の例大祭で本殿にて行われています。

詳しくは、当サイト靖国神社「霊璽簿奉安殿」でご紹介しています。

現在の靖国神社「招魂斎庭」

 

既にご紹介した通り、招魂斎庭の大部分はコンクリートで固められ、駐車場となっていますが、駐車場内を突っ切って、鳥居の前までは行くことができます。

玉砂利が敷かれた一角が、かつての斎場の名残を感じさせます。

現在残っているのは、鳥居、燈籠、標柱、一部の植樹などで、これらはいずれも東京市連合女子青年団員より奉納されたものです。

標柱の「招魂斎庭」の文字は、第3代宮司賀茂百樹の筆によるものです。

案内板も立っています。

靖国神社「招魂斎庭」の場所

招魂斎庭は、靖国神社境内の奥、靖國会館と相撲場(啓照館)の間に位置しています。

鳥居や燈籠が残る場所は、駐車場の奥にあります。

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