有章院霊廟 二天門(旧・増上寺)【重要文化財】

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有章院霊廟 二天門(旧・増上寺)【重要文化財】

造営年

1717年(享保2年/江戸時代中期)

再建年

2018年(平成30年)

建築様式

三間一戸 八脚門、朱漆塗

屋根の造り

切妻造、銅瓦葺

重要文化財指定年月日

1930年(昭和5年)5月23日

発願者

徳川幕府(徳川吉宗/8代目将軍)

施工者・造営指揮

片山三七郎平満國(幕府作事方大工頭)

所有者

株式会社プリンスホテル(西武グループ)

二天門(有章院霊廟)の読み方

二天門は「にてんもん」、有章院霊廟は「ゆうしょういん れいびょう」と読みます。

「有章院」の意味とは?

有章院とは、江戸幕府7代目将軍 家継公の死後に贈られた名前(諡号/しごう)のことです。




二天門の名前の由来

二天門の名前の由来は、おおむね四天王像の中の2つの像を指し、故に二天と呼ばれます。

もしくは門でよく見かける仁王像も阿形と吽形の2体セットで安置されていることから、厳密には「二天」とも言えます。

他には次のような例がありんす。

  • 日天と月天
  • 梵天と帝釈天

有章院霊廟の二天門には「多聞天(たもんてん)」と「広目天(こうもくてん)」が安置されています。

以上、このような「二天」が安置される門であることから「二天門」と命名されています。

四天王とは、以下の四天のことを言います。

  • 東の方角を守護する「持国天(じこくてん)」
  • 西の方角を守護する「広目天(こうもくてん)」
  • 南の方角を守護する「増長天(ぞうちょうてん)」
  • 北の方角を守護する「多聞天(たもんてん)」

二天門(有章院霊廟)の歴史・由来

この二天門は芝公園の真隣りに位置する株式会社プリンスホテルの敷地内、ちょうど当ホテルの入口付近に建っている門です。

かつて、現在の東京プリンスホテルが建つ場所は増上寺の敷地であり、江戸幕府7代目将軍 家継公の霊廟となる「有章院霊廟」があったのです。

江戸幕府7代目将軍 徳川家継公は1709年(宝永6年)にこの世に生を得ますが、兄2人が早世し、物心つかぬわずか3歳という年齢で徳川家7代目将軍に就任します。

しかし病弱であったことが原因で、その約7年後となる1716年(正徳6年)4月30日に逝去しています。享年8歳。

死後、直ちに先代の家宣公の霊廟(文昭院)の隣に霊廟の造営が開始され、翌1717年(享保2年)に完成を迎えています。

造営工事の現場指揮は、発見された棟札によれば幕府作事方大工頭の片山三七郎平満國とされており、同氏によってその後、計6回もの修理が執り行われていたことも明らかにされています。

しかしながら1945年の太平洋戦争の空襲により、有章院霊廟に建てられていた建造物はことごとく灰燼に帰し、かろうじてこの二天門だけは戦火を免れています。

1960年(昭和35年)に現在地に移され、1962年(昭和37年)に剥げ落ちた塗装や飾り金具などの修理が所有者であるプリンスホテルの自費出費により実施されています。

戦後、家継公の遺骸は増上寺安国殿裏の徳川将軍家霊廟に移され、墓塔が建てられて祀られています。

二天門の「平成の修理」

この二天門は江戸中期の造営ということから、塗装が剥げ落ち、老朽化や倒壊の可能性が懸念されていましたが、2015年(平成27年)より以下の内容の保存修理が実施されています。

平成の二天門の保存修理の内容

部分的に銅板屋根の葺替え、漆の塗り直し、かざり金具の補修などを精巧緻密に復原。

今回の修理報告によれば屋根はほとんど創建当初のまま活かされ、特に大きな修繕はされていません。

柱に関しては全12本のうち5本には高根継されており、10本が足元でも根継補修されていたとのことです。また、高根継された柱の材質は1本がケヤキ、4本がヒノキが使用されていたようです。

以上、この二天門は高根継や野地の工法などをはじめとした中古時代の建築技法を色濃く残す建造物であることが分かります。

この保存修理工事は予定より約1年遅れのおよそ3年後に完了し、無事、落慶を迎えています。

東京プリンスホテルでも伝統的な景観を創出

2019年(平成31年)10月からは、東京プリンスホテルにおいても日比谷通りの取合い歩道の整備や、二天門周辺の樹木の整理、林床整備などが実施され、伝統的な景観を可能なかぎり創出するとともに観光スポットとしての要素を色濃くしています。

なんといっても増上寺や当ホテルの付近には東京を代表する一大観光スポットである東京タワーがあり、その周囲には芝公園はじめ、浜離宮恩賜庭園、旧芝離宮恩賜庭園、レインボーブリッジなどの観光スポットがひしめいています。




有章院霊廟の規模(敷地面積)

かつての有章院霊廟があった場所は北御霊屋という場所であり、この北御霊屋の規模は36000m2だと伝えられています。(現在の東京プリンスホテルの敷地面積は約4万9968m2

これはFIFA規格のサッカーグラウンド4面分に相当する面積であり、この北御霊屋の約半分の面積が有章院霊廟だったとすれば敷地面積はザっと1万8000m2くらいとなり、広大な敷地を有した霊廟だったことになりんす。

有章院霊廟にかつて存在した建造物
  • 霊廟入口:二天門
  • 二天門をくぐって左前方:勅額門
  • 勅額門の左右:外透塀
  • 勅額門をくぐって参道を進んだ右側:鐘楼
  • 上記、鐘楼の正面:水盤舎
  • 水盤舎の斜め後方:井戸屋形
  • 参道を進んだ正面:中門及び前廊
  • 中門及び前廊の左右:左右廊
  • 左右廊から連接される形で内透塀が御霊屋を囲む

⬆️被災前の増上寺境内の全地図と有章院の場所

⬆️焼失前の有章院霊廟 鐘楼(左)と勅額門(右) ※以下、引用先:https://ja.wikipedia.org/

焼失前の勅額門の控え柱に彫られた龍の彫刻が精巧かつダイナミックさがものスゴい。勅額門の向こう側に見える銅灯籠は増上寺本堂(大殿)の前や、日光の東照宮・家光公の霊廟「大猷院」、上野東照宮の銅灯籠と形状が同じです。

⬆️水盤舎(左)と井戸屋形(右)

有章院霊廟「御霊屋」

有章院霊廟の御霊屋は、日光東照宮の本殿に見られるような本殿・相之間・拝殿が1つの建物の中におさめられた権現造(ごんげんづくり)で造営されています。

⬆️焼失前の拝殿

権現造りは久能山東照宮の本殿にて最初に用いられた造りであり、東照宮シリーズの社殿造りの特徴とも言えます。

権現造りについては下記ページをご覧ください。

さらに渡廊が相之間の右方(北)に接続し、本殿背後には奥院(墓所)への入口である仕切門が設けられています。

有章院霊廟「奥院・宝塔」

奥院は2つのエリアに区切られ、正面向かい見て左側に有章院。右側に惇信院(じゅんしんいん/9代家重公)の宝塔が建っていたとされます。

奥院の敷地内に存在した建造物一覧

上記、奥院の2つそれぞれのエリアには以下のような建造物があったとされています。

  • 宝塔
  • 波板塀
  • 中門
  • 拝殿
  • 透塀
  • 唐門及び前廊

⬆️手前中門と奥に見えるのが惇信院(奥院)・宝塔

上掲写真を見れば分かるように惇信院(奥院)の中門の両脇には枝ぶりの良い梅?が彫られています。

二天門(有章院霊廟)の建築様式

この二天門は正面から見ると分かりにくいのですが、実は柱が合計12本あります。

門の中心部分となって大屋根を支える本柱が4本あり、これを基軸として前後の同位置に均等に並立する形で4本の柱が用いられています。

これら合計12本の柱で門の屋根を支えていることになりんすが、この門の建築様式は八脚門(やつあしもん)とされています。

この理由は中央の本柱4本を除外して8本柱としてカウントされているからです。

八脚門で有名な門としては、東大寺・転害門や出雲大社の八脚門、それに京都清水寺の轟門などがあります。




安置されている仏像「二天像」とは?

この二天門に安置されている二天は西方を守護する広目天と北方を守護する多聞天が安置されています。

向かい見て左側が多聞天。右側が広目天です。

⬆️多聞天

⬆️広目天

この二天門の前に立てられている看板によれば、焼失した文昭院霊廟の二天門には持国天と増長天が安置されていたようです。

つまり、文昭院の二天門と有章院の二天門で四天王を祀り、東西南北の方角を守護していたことになりんす。

かつて増上寺北側には、この有章院や上述、惇信院を含めた歴代将軍の遺骸を納めた宝塔が建てられており、このエリアを「北御霊屋」と称し、その出入口には二天門が2つあったのです。

⬆️北御霊屋エリア(現・東京プリンスホテル)の全地図

その他の有章院霊廟 二天門の特徴や見どころ

⬆️二軒繁垂木、出組、支輪の金のかざり金具と黒漆塗りの調和が重厚感を創出している

⬆️創建当初の絢爛豪華さが蘇った朱色を基調とした桟唐戸(さんからど)とかざり金具、まばゆいばかりに光を放つ金色の三つ葉葵紋が見事⬆️少し離れて二天門の側面から見たところ。黒漆塗りの破風板のかざり金具が見事。屋根が黒色で壁面の朱色のコントラストが映える。




⬆️東京タワーと二天門。近未来と侍時代の融合に何とも言えない趣が感じられる。

⬆️裏側から見た二天門。両はしの間口には何にも置かれていない。ガラぁ〜ん。

⬆️修理中の二天門の様子。素屋根で中がまったく見えない。

修理前の二天門の様子

⬆️色が剥げ落ちて木肌が見えてしまっている。

⬆️屋根は銅葺き。銅瓦は創建当初からのもの。

⬆️二天像の色彩も剥げ落ちているのが分かる

有章院霊廟 二天門の場所(地図)

有章院霊廟 二天門は、大門から約450mの場所に位置します。増上寺三解脱門からは歩いて約2分です。

門の奥は東京プリンスホテルの駐車場になっており、手前は「都道409号日比谷芝浦線」が通ります。

門の裏側は一応、私有地であり、所有者である東京プリンスホテルに確認したところ、一般参拝は受け入れしていないとのことです。

門の手前には東京プリンスホテルのフロントへ至る道路があり、この道路から側面にある駐車場(現在はタイムズ)へ車を入庫すれば裏側を間近で見ることはできます。…マジか?

  • 所在地:港区芝公園3-3
  • アクセス:都営地下鉄三田線「御成門」駅下車徒歩3分

その他の増上寺の観光・見どころ

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