浜離宮恩賜庭園の歴史(年表)

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浜離宮恩賜庭園の歴史(年表)

浜離宮恩賜庭園はいつ頃から当地にあるのでしょうか?

知りたくありんせんかぃ?

以下では浜離宮恩賜庭園の歩みと年表をご紹介しています。

徳川家康時代(江戸時代初期)

浜離宮恩賜庭園の場所は、江戸時代(1603年〜1654年)の間に造られた埋立地であり、かつては海だった場所です。

埋め立てられた理由は江戸の人口急増により、吐き出されたゴミ処理の場所として充てがわれたためです。

⬆️ 浜離宮庭園のあたりは1880年以前は海! 画像引用先:https://www.ndl.go.jp/

徳川家綱時代(4代目将軍/1651年〜1680年)

埋立られた後は将軍家の鷹狩場として利用されていましたが、1654年(承応3年)に松平綱重(3代目家光公の三男/4代将軍徳川家綱の弟)の下屋敷が造営されることとなり、茶園、火薬所、庭園が新たに整備されるなど大幅な改修が行われています。

⬆️鷹狩場だった頃の浜御殿の様子。雑草に覆われている。

改修後、「甲府浜屋敷(甲府藩下屋敷)」や「海手屋敷」と呼ばれており、正式にはこれが浜離宮の前身になりんす。

徳川家宣時代(6代目将軍/1709年〜1712年)

この後、松平綱重の子・綱豊が6代将軍徳川家宣となった際に「西丸御屋敷」と改称され、さらにその後、「浜御殿」と改称されています。

⬆️江戸時代後期(1800年代)の古地図「濱御殿」が現在の浜離宮 画像引用先:https://www.ndl.go.jp/


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1729年には象が飼われていた?!

浜離宮では1729年にベトナムから日本に来た象が飼育されていたことがありんす。象は長崎から大坂・京都と移送され天皇や有力者に謁見し、江戸に入った後は時の将軍・吉宗公の命令により、濱御殿(現在の浜離宮庭園)の中で飼育されることになりんす。

画像引用先:https://ja.wikipedia.org/

当時の濱御殿は吉宗公の直轄に置かれ、製糖・製塩、鍛冶、火術・大砲術、水質改善などの実学実験場としても機能していたようです。その一環で象の飼育が開始されています。

象を飼育していた象舎は現在の花木園の中、売店&休憩所付近に「象の飼育場所跡」などと書かれた案内板が立てられています。

徳川家斉時代(6代目将軍/1787年〜1837年)

家斉公の御代になると園内各所に茶屋や腰掛けが作られたり、鴨場も拡充し、増設もされています。

天明年間以降は、天災や飢饉が続いたため、非常事態に備えるために籾の備蓄を図っています。ちなみにこの籾蔵は現在のボタン園の場所に建てられていましたが現在は太平洋戦争の東京大空襲により焼失しています。

天保の大飢饉の折は、諸物価が高騰し、米価が下がらなかったために、その救済政策として浜御殿の掘さらいを命じ、その代価として人夫に賃金を支払っています。

明治時代

明治時代になると皇室の離宮として「浜離宮」、さらに皇室から東京都に下賜され、現今の「浜離宮庭園」の名称に着地しています。

平成時代

2018年

2018年秋に「東京150年祭」というイベントの一環で夜間入園を実施しています。

このときは園内にて大規模なプロジェクションマッピングが行われたようですが、東京全体が対象となるような大イベントでも開催されないかぎり、浜離宮においてのライトアップイベントというのは今後、行われないように思えます。

2019年

2019年4月にも「花紅柳緑@浜離宮恩賜庭園」というイベントが飲料メーカーの「レッドブル」主催により行われています。

浜離宮恩賜庭園のあゆみ(年表)

年号 できごと
1603年〜1654年(江戸時代前期) 浜離宮の土台となる埋立地が造成される。
1654年(承応3年) 松平綱重(3代目家光公の三男/4代将軍徳川家綱の弟)の下屋敷が造営される。
1709年(宝永6年) 濱御殿奉行という奉行職が設置されることになり、初代奉行に「永井伊豆守直敬」が任命される。
1729年(享保14年) ベトナムから象が渡来。以後、濱御殿に象舎が建てられ飼育される。
1853年(嘉永6年) 沿岸防備のために園内に大砲5門が設置される。
1866年(慶応2年)11月 奉行職が廃止され、新たに海軍奉行が置かれる。浜御殿は海軍所となる。
1869年(明治2年) 外国人接待所「延遼館」が竣工。延遼館は明治維新後も鹿鳴館が完成するまでは迎賓館として使用される。
1870年(明治3年) 宮内省の管轄となり「離宮」と改称される。明治天皇も度々、足を運ばれるようになる。
1879年(明治12年) ドイツの皇太子フリードリヒが訪問。アメリカ大統領のユリシーズ・S・グラントも延遼館に1か月滞在し、中島の御茶屋で明治天皇との謁見が行わる。
1889年(明治22年) 延遼館が取り壊される。
1923年(大正12年) 関東大震災と東京大空襲(1945年)で、大手門や複数の御茶屋や樹木が焼失す。庭園全体的に大きく損傷す。
1945年(昭和20年)11月3日 GHQの要求により東京都に下賜される。
1946年(昭和21年)4月1日 都立庭園として開園。
1952年(昭和27年) 「旧浜離宮庭園」として特別史跡・特別名勝の指定を受ける。
1972年(昭和47年) 他の都立公園とともに無料化される。(後に再有料化)
1983年(昭和58年) 中島の御茶屋の復元工事が完了す。
2000年代前半 対岸の旧汐留貨物ターミナルが再開発され汐留の高層ビル群が林立す。
2010年(平成22年)12月 松の御茶屋の復元工事が完了す。
2015年(平成27年)5月 燕の御茶屋の復元工事が完了す。
2018年(平成30年)4月 鷹の御茶屋の復元工事が完了す。
2018年(平成30年) 園内にてライトアップイベントが開催される。
2019年(平成31年) 園内にてライトアップイベントが開催される。

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