円山稲荷神社(圓山随身稲荷大明神)の御朱印や歴史・境内見どころをご紹介!

スポンサードリンク

「円山稲荷神社(圓山随身稲荷大明神)」という名前を聞いて、地元の方でもその存在を知らない方も多いと思いますが、当社は前方後円墳である芝丸山古墳のクビレ部分に建つ神社です。

境内地は無いに等しく、小ぢんまりとした規模の神社ですが、実はちょっとした由緒を持つ神社なんです。

以下では、この謎多き「円山稲荷神社(圓山随身稲荷大明神)」の歴史・境内見どころと併せて御朱印についてご紹介しています。

円山稲荷神社(圓山随身稲荷大明神)

  • 創建年:不詳(推定:1616年/江戸時代前期)
  • 御祭神:宇迦之御魂神
  • 社格:芝東照宮 末社




円山稲荷神社(圓山随身稲荷大明神)の名前の由来

円山稲荷神社は正式には「圓山随身稲荷大明神」と呼称しますが、「随身稲荷」の名前の由来は、1616年(元和2年)に2代目桑名城主「本多忠政」が増上寺にご本尊「阿弥陀如来座像(室町期の造立/東京都指定有形文化財)」を寄進し、桑名から増上寺までの輸送道中の随身(守護神)として鎮座したことから由来がきているようです。

「随身」とは「ずいじん」と読み、貴人の護衛官のことを指します。神社では門の両脇の間口などに寺院の仁王像の代わりとして安置されていることが多いのですが、つまりのところ、この稲荷大明神は阿弥陀如来像の護衛官として桑名から増上寺本堂(現在の大殿)まで随行していたことになりんす。

故に「随身」が付され、その後、当時、「円山」と呼ばれた土地に鎮座した稲荷大明神であることから「圓山随身稲荷大明神」と呼ばれるに至っています。

円山稲荷神社(圓山随身稲荷大明神)の歴史

この圓山随身稲荷大明神の創建は前述のように1616年(元和2年)に桑名から増上寺へ輸送された阿弥陀如来像に随行した神であり、その後、すみやかに当地(芝丸山古墳)に祀られたと考えるならば、創建年は1616年か1617年頃になります。

圓山随身稲荷大明神は鎮座後も増上寺の御本尊を護り続けている!

実はこの芝丸山古墳が建つ地は、ちょうど増上寺の裏鬼門(南西)にあたり、その裏鬼門に当社が鎮座する様相を加味すれば、これは未だもって増上寺の御本尊「阿弥陀如来」を守護し続けていることになりんす。

そもそも増上寺自体も江戸城の裏鬼門(南西の方角)を封じていると言われており、これは日枝神社や神田明神とともに江戸城の鬼門を封じのために建立&移築されたことになります。

その増上寺の裏鬼門にあたる南西の方角をこの稲荷大明神が封じていることになりんす。

【補足】江戸城の鬼門封じのために建てられた&移築された寺社一覧

  • 寛永寺:上野
  • 増上寺:芝
  • 日枝神社(日吉大社の分祠):永田町
  • 神田明神(神田神社):湯島

1598年(慶長3年)、江戸城では拡張工事が執り行われていますが、増上寺はこの工事に伴って徳川家康公によって現在の場所へ移されることになりんす。

 

圓山随身稲荷大明神の前の看板の内容紹介

円山稲荷は増上寺の裏鬼門に位置し、山内鎮守の重要な地を占め、史跡として指定されている丸山古墳上にあります。

随身稲荷の由来は増上寺がこの地に移建当時、桑名よりお迎えした御本尊を守護する為に江戸までお供されたいわれにより、以来、永く、鎮守まします大明神であります。

大本山 増上寺

円山稲荷神社(圓山随身稲荷大明神)ってどんなところ?「境内見どころ」

⬆️御本殿の外観

左右2体キツネ像

⬆️向かい見て左側のキツネ像

⬆️向かい見て右側のキツネ像




扁額

⬆️扁額。見にくいが上部には”丸山 随身”下部に”稲荷大明神”と書かれている

シマウマの土鈴?人形?と宝珠の念珠ブレス

⬆️誰が奉納した?のであろうか。なぜかご神前にシマウマの土鈴と宝珠の連珠が置かれている

破損が著しいキツネ像

⬆️鼻をもがれた痛々しい姿の旧キツネ像か?造立は江戸時代?

散乱する石

⬆️幟(のぼり/旗)を建てた台石なのか?荒らされたように散乱している

丸山古跡と彫られた尖った巨大な石コロ

⬆️「丸山古跡」と書かれた石碑。その手前には損傷が著しい旧キツネ像?が見える

石灯籠

⬆️年季を感じる石灯籠




不自然な横長の石コロ群

⬆️ご神前から振り返った景色。等間隔に置かれた横長の石にはどんな意味が‥?この横長の石はベンチなのであろうか‥

鳥居と竹柵

⬆️手前の竹柵と朱色の鳥居は「増上寺護持会」により2017年8月に設置されたもの。

戦没者の供養塔

⬆️戦没者の供養塔が見える

⬆️戦没者へ手向ける供養の言葉が彫られている?

芝東照宮

⬆️見えにくいが茂みの間から芝東照宮の本殿が見える

関連記事:

参道?

⬆️帰り道の両脇には鬱蒼とした草が生い茂る




【補足】増上寺五重塔が建っていた場所

増上寺五重塔は1945年(昭和20年)の東京大空襲にて焼失し、その後、礎石などが一切、残されていないことから、建てられていた場所が不詳とされています。

ただ、芝東照宮脇には、かつて「銀世界」と呼ばれた梅林(梅園)が広がっていたことや、芝東照宮の位置が変わっていないなどの条件を加味すれば、歌川広重作の「江戸百景・増上寺塔赤羽根」を参照するかぎり、この円山稲荷神社の前の円形状の広場に建てられていたのではないか?と推察されます。

⬆️歌川広重作の「江戸百景・増上寺塔赤羽根」

⬆️江戸図屏風に描かれた台徳院霊廟

⬆️ちょうど街灯のあたりに増上寺・五重塔が建っていたものと推察される

五重塔のような高さの仏塔が直立する形で自立するためには、地表が平面状の場所を選ぶ必要がありんすが、ちょうどこの円山稲荷の前方は円形状の平地になっています。

丸山古墳の山頂に建っていたとされる秀忠公の御霊屋および宝塔と同列の場所に配さず、あえて少し低い場所に建てることを想定していたとすれば、この場所しかないような気もします。

つまり、上掲、写真のちょうど街灯が立っているあたりに五重塔が建っていたのでは?‥と推察されます。

あなたはどう思いますか? ⬆️地図で示すとこのあたり




円山稲荷神社(圓山随身稲荷大明神)の御朱印について

この円山稲荷神社(圓山随身稲荷大明神)は、すぐそこに建つ芝東照宮の末社であるのですが、残念ながら芝東照宮では当社の御朱印の授与はされていないようです。

増上寺の公式HPによれば以下のような記載があることから、増上寺の管理下にある神社でもありますが、残念ながら増上寺の方でも当社の御朱印は授与されていないようです。

平成3年の改修造営工事以来、老朽化が進んでおりました。そこで増上寺護持会の協賛をいただき、6月より社殿の補修工事及び鳥居と竹柵の新築工事が行われ、8月初旬無事に落成となりました。

圓山随身稲荷大明神には社務所(授与所)がない!

なお、圓山随身稲荷大明神には辛うじて境内地と呼べるスペースはあるものの、社務所や授与所はありませんので、したがって御朱印やお守りも授与されていないことになります。

お守りに関しても隣に建つ増上寺や芝東照宮でも当社のお守りを授与されていません。

円山稲荷神社(圓山随身稲荷大明神)の場所とアクセス方法

所在地:東京都港区芝公園4-8-25

最寄駅: 都営地下鉄三田線「芝公園駅」/都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅「大門駅」スグ

URL:http://www.shibatoshogu.com/index.html

圓山随身稲荷大明神の付近周辺の観光と見どころ

スポンサードリンク -Sponsored Link-


当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。