実は縁結びのパワースポット!芝大神宮(東京都港区)の歴史(年表)・由来や境内の様子・見どころを解説!

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ちょっと!増上寺へ行く前にちょぃとストップ!!

増上寺へ行くために大門駅A6出入口から上がってきた方は、ぜひ!立ち寄っていただきたいロケーションがあります。

そのロケというのが芝神明!‥芝大神宮です!

「東京」と聞けば江戸時代より開花した文化という印象が色濃いですが、この芝大神宮は平安時代に創建したという由緒ある歴史を有した都内屈指の古社です。

境内は広いとは言えましぇんが、古都・奈良や京都に並ぶほどの歴史があり、姿は変えつつも現在までもその存在を留めることから、多くの崇敬が寄せられてきた歴史を物語っています。

当神社で特に有名なものに、例年9月中旬に斎行される「ダラダラ祭」という祭典がありんすが、期間中、約20基にも及ぶ神輿渡御が一番の見どころとなっています。

それと忘れてはいけないのが、当宮で授与されている縁起物の「千木筥」も有名です。良縁結びにご利益があるとかで、古来、女性の参拝者が絶えないとか。

以下では、少し謎めいた都内屈指の古社「芝大神宮」の歴史(年表)や境内見どころをご紹介しています。




芝大神宮【旧准勅祭社】【日本七神明】

読み方

しばだいじんぐう

別名

芝神明、芝神明宮、日比谷神明、飯倉神明宮、関東のお伊勢様

創建年

  • 不明
  • 推定:1005年(寛弘2年/平安時代後期)
御祭神

  • 主祭神:天照皇大御神、豊受大御神
  • 相殿神:源頼朝卿、徳川家康公
ご利益

縁結び(特に女性)、社運隆昌、商売繁盛、情報機密漏洩防止(IT)、出世開運、心願・諸願成就、病気平癒、学業成就、合格祈願、交通安全、家内安全、工事安全、厄除け 他

【補足】日本七神明とは?

「日本七神明」とは、伊勢神宮を除外した伊勢の内外宮の大神を奉斎する日本を代表するような格式のある神明神社のことです。

ウィキには下記の内容で掲載されていますが、実際のところ「日本七神明」というものを誰がいつ何を想定して定めたものなのか?‥など、その由来や詳細が不詳とされています。他に「日本三神明」と呼ばれるものもあるとか。

  1. 神明神社:山形県山形市
  2. 芝大神宮(芝神明宮):東京都港区
  3. 金沢神明宮 : 石川県金沢市
  4. 仁科神明宮 : 長野県大町市
  5. 朝日神明宮 : 京都府京都市下京区
  6. 日向大神宮 : 京都府京都市山科区
  7. 露天神社(合祀:難波神明宮):大阪府大阪市北区
境外社

  • 皆田稲荷
    所在地:不明。存在も不明。
  • 産千代稲荷(うぶちよいなりじんじゃ)
    所在地:東京都八王子市小門町82
  • 潮干稲荷
    所在地:不明。存在も不明。
  • 智童稲荷
    所在地:不明。存在も不明。成田山新勝寺系列の古社か。

※参考文献:ウィキぺディア

関係者

  • 芝東照宮

芝大神宮の境内の見どころ

第一京浜(国道15号)沿いの境内入口

鳥居があると思いきや、大通り沿いには鳥居がない。あるのは「芝大神宮」と刻字された石碑のみ。なぜか「B1 ふくの鳥」の電飾看板が妙に気になる。どんなお店?ビールシコ流し系か?

入口石鳥居

この鳥居は、「神明鳥居」という種類の鳥居です。伊勢の大神はじめ、皇祖神を祀る神社の鳥居は、例外を除いてほぼこの神明鳥居です。

神明鳥居はあらゆる鳥居の中でも古式の鳥居と言えます。飾り気が無く質素。直線的なフォルムが特徴的です。

伊勢神宮の境内および境内社に建つ鳥居はすべてこの神明鳥居です。ゆえに敬称で伊勢鳥居とも呼ばれます。

芝大神宮は伊勢神宮の内外宮の大神を奉斎していますので、鳥居もやはり神明鳥居が用いられています。

鳥居の両柱 裏側の刻銘

奉納 昭和三十八年十二月吉日

鳥居修復工事 平成15年1月11日

⬆️石鳥居の外観(裏側)

貯金塚

  • 高さ:4メートル
  • 材質:黒小松石(安山岩)
  • 形状:自然碑形

大正から昭和にかけて「貯金王」として知られた不動貯金銀行創業者「牧野元次郎」を偲んで、1957年(昭和32年)に同氏の関係団体である「不動会」が建立した貯金塚です。

牧野元次郎は、近隣地に不動貯金銀行を設立した人物です。不動貯金銀行はすでにありんせんが、その系譜を継ぐ銀行が現存しています。

「りそな銀行(旧あさひ銀行・旧協和銀行)」が代表例です。

石碑の内容(刻字)

根気根気 何事も根気 實篤 「印」「印」

ちなみに實篤とは、文豪の武者小路実篤のことです。この石碑は昭和32年、芝大神宮へ奉納するために故・牧野元次郎を偲んで実篤自身が揮毫したものです。

貯金祭

芝大神宮では毎年10月17日に貯金祭が斎行されます。10月17日には伊勢神宮にて神嘗祭(かんなめさい)が執り行われますが、これに由来した祭典であり、この日を以って「秋の実りに感謝すると共に、実り(お金)を無駄遣いせずに大切にしよう」という思いを見直す記念日です。

芝大神宮ではこの日、貯蓄・貯金の加護祈祷を行っています。




祈祷殿

祈祷殿では厄払いのほか、情報通信産業祈願(IT)高層マンション・オフィスビル・高速道路等の建築関係の工事安全祈願、更には人生儀礼(結婚式・初宮・七五三等)、会社の社運隆昌祈願などのご祈祷も行われています。

神前祈願の申し込み方法
  • 完全予約制。事前連絡要。
祈祷受付時間
  • 9:00~16:30
ご祈祷料金
  • 個人:壱萬円以上
  • 法人:弐萬円以上(参列人数が30名以上の場合は参萬円以上)

この他、出張祭典もあり。詳細は芝大神宮公式ホームページを参照。

芝大神宮での神前結婚式!

芝大神宮では、主祭神である太陽神・天照皇大御神が御身体から放つ「太陽光エネルギー」を再現した神前結婚式!その名も『ソーラー・ウエディング』という風変わりなテーマを掲げたブライダルフェアを開催しています。

ブライダルフェアの内容としては、伝統的な神前結婚式を間近で見学できる他、結婚式の貸し衣装や披露宴会場など関連業者を集めた展示会も用意もあります。

  • 見学時間:10:00~17:00
ブライダルフェアへの申し込み方法

事前登録が必須(詳細は芝大神宮 社務所03-3431-4802まで)

狛犬

芝大神宮の狛犬は平凡です。通例であれば狛犬は鞠(まり)や子狛犬を踏みつけているのですが、下掲の写真をご覧になっても分かるとおり、何も踏みつけていません。

⬆️向かい見て右側の狛犬

デコが広っ!‥。大阪方言で言う、”でぼちん”?

顔面めっちゃ彫りが深い‥。コレ、平井〇よりはるかに上いく。

⬆️向かい見て左側の狛犬

さぁ〜皆んなコッチに集まってぇ ウぅフん

コッチの狛犬さんは顔面を少し下に向けて見下ろしているワね。なんでだろう? 分かるかなー。分かる人手ェあげてー〜 ‥シーン‥

ちなみに先生はサッパリぱりぱりオニギリせんべいほども分かんないんだけどね〜ウフぅん

ただね。1つ言えるこ・と・は顔面の半分から下、ウナギ犬にソックリだとい・う・こ・と….なんで急にそんな言い方やねん

刻銘

「芝大神宮 高麗犬修覆 台石奉納 昭和四十年(1965)九月吉日」

この狛犬がいつ頃から境内にあるのかは不明ですが、1834年(天保5年)に出版された「江戸名所図会」には狛犬が描かれていないことから、それよりも時代が下ってからの奉納か、もしくは作者である長谷川雪旦が名所巡りをしていた頃と考えると、それより少し前だと考えられます。1810年頃〜30年頃?

狛犬像の基壇部分に「め組」の銘が見えることから、め組の有志一同が奉納したのでしょうか。

本殿

⬆️拝殿(本殿はこの最奥)

本殿の手前には幣殿(へいでん)とも呼べるべき建物があり、その手前に拝殿がありんす。

一般参拝者はこの拝殿の手前で手を合わせてお祈りします。

⬆️本殿(裏側から見上げた外観)。1階は月極駐車場になっている。

現在の本殿では伊勢・内外宮の大神と相殿神以外にも、以下の16柱の神が合祀されているようです。

  • 主祭神:天照皇大御神、豊受大御神
  • 主な相殿神:源頼朝卿、・徳川家康公
合祀神
  1. 住吉神社(表筒男命・中筒男命・底筒男命)
  2. 名前不詳※末社(大国主命)
  3. 春日神社(天児屋根命)
  4. 熊野神社(伊邪那美命)
  5. 須賀神社(須佐之男之命)
  6. 事代神社(事代主命)
  7. 氷川神社(健速須佐之男命)
  8. 八幡神社(応神天皇)
  9. 浅間神社(木花咲耶姫命)
  10. 市杵嶋神社(市杵島姫命)
  11. 諏訪神社(健御名方神)
  12. 天満神社(菅原大神)※菅原道真公
  13. 淡島神社(少名彦名神)
  14. 宝禄稲荷神社(保食神)
  15. 福寿稲荷神社(和加産毘命)
  16. 稲荷社三社(宇賀魂神)




手水舎&水盤

  • 用材:木曽ヒノキ
  • 水鉢(水盤)の石材:浮金黒御影本磨
  • 屋根:銅葺き

手水舎脇の立て札の内容に拠れば、この手水舎は昭和41年9月11日、例大祭の斎行を記念して落成したとあります。

建築様式は4本柱の外側に2本の柱が棟を支えている(之を棟持ち柱と云う)神明造をかたどった全国でも稀有な形状をした手水舎‥とのことです。

⬆️見えにくいが柱が左右各3本ある。

‥なるほど!確かに。手水舎の形状が神明造をしている。これは確かに日本広しと言えど、芝大神宮の境内だけでお目にかかれる手水舎かもしれない。

水盤に使用されている石ころコロころころリンっ!チュっ💋(新)‥‥は、キメ細かくて堅牢な日本を代表する黒御影石です。

⬆️水盤

浮金石の名前の由来は、散りばめた金粉が金の模様となってまるで浮き出てきているように見えることからこの名前が付いています。

【参考】神明造とは?

芝大神宮の力石【港区指定有形民俗文化財】

平和になった江戸時代になると、住民たちが石を持ち上げて自らの力自慢を競う、いわゆる娯楽文化も花開きます。

当初は村人の間で始まり、それがエスカレートしていき、寺社の境内で力自慢が行われるようになっていく‥、そしてそれが大会へと発展し、やがて見世物として興行するものが現れる‥。

とこうして江戸時代から明治時代にかけてこのような力自慢は最盛期を迎えます。

しかしながら、中には常人離れした怪力りきりき竹内力も出てきますが、力持ちが代名詞の職業と言えば‥『力士」、いわゆる「相撲取り」です。

この芝大神宮の境内にも力石なる石が置かれていますが、ちょっと下掲の写真をご覧くださいな。⬇️

風蝕により少し見えづらくなっていますが、「五拾貫余」「山口藤吉 慶応三年芝金杉川口町生」の文字が見えます。

山口藤吉は、芝界隈では大層、力持ちと知られ、通称・”金杉の藤吉”とまで呼ばれたようです。

なんでもこの石コロころころ‥ネタ出てこん‥を、軽々と片手で頭上高く持ち上げたそうな。

【補足】「五拾貫」の重さいったい何キロ?

「五拾貫余」とは現代風に訳すと「50貫あまり」となりんすが、ではいったい50貫とは何キロくらいあるのか?

現代の計算機で計算すると以下のようになりんす。

『187.5キログラム』

ドっヒゃっ!マジで?!

100キログラムを物に例えると‥2リットルのペットボトル約50本分にものぼります。単純に90キログラムの大人が2人分。体重46キロの女子なら約4人分?!

しかしこの石コロころ‥を見ていると、なぜか不思議と漬物のタクアンが食べたくなってきたので、主婦スーパーにパシって来ようと思います。バリボリ

百度石

芝大神宮の階段を上った先、手水舎の前には「百度石」が置かれていますが、これは言わずも知れた全国の寺社の境内で見かける”あの石”です。

百度参りは思い人の生死に関わるような本当に叶えて欲しい願掛けなどに用いられますが、やり方としては本殿(拝殿)とこの石との間を行ったり来たりと念仏を唱えながら往来することです。

鎌倉時代に成立した吾妻鏡に百度参りに関する記述が見るかっていることから、相当な歴史を有する信仰になりんす。

芝大神宮ではお百度参りする方を奨励しており、何回踏んだかのかが分かるように「木札100枚分」を用意されているようです。(現在もまだ授与されているかは不明です。詳しくは社務所まで)

神明恵和合敢組

神明恵和合取組と書いて「かみの めぐみ わごうの とりくみ」と読みます。

これは歌舞伎の演目名であり、1890年(明治23年)3月に初公演された演目になりんす。通称「め組の喧嘩」。

この神明恵和合取組の第2幕に「芝神明」という言葉が出てくるのですが、これがいわゆる芝大神宮のことです。

四ツ車大八と九竜山浪右衛門という力士がめ組の若手衆と喧嘩をする演目です。”め組”とは南町奉行として知られる「大岡越前」が組織した直下の火消し部隊でありんすが、構成要員は現代でいう鳶職を本業とする血気盛んな連中です。

実はこれ、演目ではなく、実際にこの芝大神宮(芝神明)で起こった乱闘事件だと言えば驚きますでしょうか。

この事件はのちに町奉行、寺社奉行、勘定奉行までを巻き込んだ大事件へと発展し、大きな話題を呼びました。

大きな話題を呼んだ理由の1つに当時、非常時以外での使用を禁じられていた火の見櫓(ひのみやぐら)の早鐘(はやがね)を鳴らしたことにありんす。

本来であれば喧嘩両成敗が常套。しかし驚くことになんと!早鐘に使用していた「半鐘(はんしょう)」が勝手に自分で鳴り出したのが発端となって喧嘩がはじまった‥というお裁きが下り、この半鐘が島流しという判決でこの一件落着。

ただ、め組側に軽罰が下されたそうですが、最終的には何人も生死に瀕したお咎めなしという、如何にも名奉行・大岡越前らしい情深いお裁き。あ、これにてぅぇ!、いっけんらくちゃぅ〜く by.遠山

で、その半鐘の行方は?

なんでもこの半鐘、三宅島に本当に流されてしまったようなのですが、明治時代になって芝大神宮に戻されており、毎年2月の節分祭の時などで展示されています。

なお、節分祭では「め組の半鐘祭」という上記、め組の喧嘩の逸話に基づいた祭典も執り行われています。




め組の半鐘祭【港区登録有形民俗文化財】

港区登録有形民俗文化財指定年月日

1993年(平成6年)3月22日

毎年、2月の節分祭では、上記、罪を一手に被った半鐘を供養するために「半鐘祭」が斎行されています。

代々、当宮の氏子域を管轄する江戸町火消しの「め組」衆が参詣し、執行しています。

この半鐘祭は、江戸時代の伝統を現代にまで伝える重要な行事ということで、1993年(平成6年)3月22日に「港区登録有形民俗文化財」の指定を受けています。

⬆️歩んできた歴史の重みが梵鐘の表面の錆や汚れにニジみ出ている

星野家3代の句碑

昭和の俳人・星野立子氏と、その娘・椿、さらにその椿の息子・高士の3氏・3代が奉納した句碑がありんす。

星野立子氏は、かの文豪として知られる「高浜虚子」の娘です。

碑文の内容

そよりとも風はなけれど夜涼かな  立子「印」

千年の神燈絶えず去年今年  椿「印」

界隈のたらだら祭なる人出  高士「印」

生姜塚

なんでも芝大神宮の前鎮座地周辺(創祀の場所/飯倉)は生姜畑に囲まれていたそうで、生姜が神饌として神前に供進されていたようです。

その後、神前から下ろした生姜を一般参拝客に縁起物として売っていたそうですが、この風習は現在でも踏襲され、後述のダラダラ祭の期間中などに売り出されています。

江戸時代に当地に鎮座してから以降もこの風習は受け継がれ、社頭にて「生姜市」と称して売られていたようです。

この様子は歌川広重の絵画にも描かれています。

⬆️歌川広重作「江戸自慢三十六興・芝神明”生が市”」

銅燈籠【港区登録有形民俗文化財】

境内に建てられている銅灯籠2基は、いずれも(平成9年)3月11日に「港区登録有形民俗文化財」の指定を受けています。

灯籠の基壇部分に「大正5年(1916年)」に修復された旨の刻銘が見えます。

⬆️大正時代に修復されているので真新しく見える




⬆️明治後期〜昭和初期の境内の様子。銅灯籠が入口鳥居両脇に見える。

その他の芝大神宮の境内見どころ

芝神明のダラダラ祭り

芝大神宮のダラダラ祭りとは?

ダラダラ祭りとは、芝大神宮の例祭になりんす。例年9月16日の前後約10日間にわたって斎行されます。

10日間と言えばかなりの長期間ですが、このような長期間で斎行される祭りで、パッ!と思い浮かぶ祭典と言えば‥京都・祇園祭です。

祇園祭は7月1日〜31日までの約1ヶ月間ですが、10日間でも日本屈指でしょう。

ダラダラという名前はこのように10日間も祭がダラダラと続くことから、江戸時代の人々がダラダラ祭と命名したようです。

それが踏襲されていることになりんす。

⬆️江戸時代のダラダラ祭の様子

別名「生姜祭」とも

この祭典では、古来、健康祈願の方法として「生姜」が配られる風習があり、現在に至っても祭典の期間中は境内で生姜が販売されています。生姜は発汗作用があり、食べると身体が火照ってきて熱くなります。うぅ〜ん火照っちゃぅ

故に別名で「生姜祭」とも呼ばれます。

⬆️江戸時代の生姜市の様子

「めっかち祭」「めくされ祭」とも

他にも、生姜を片目の者(めくされ)が売っていたことから「めくされ祭」と呼ばれたり、売られている生姜が芽を欠いている(芽欠き)として「めっかち祭」などとも呼ばれたりしたようです。

ダラダラ祭りの最大の見どころはお神輿の渡御!

芝神明のダラダラ祭りの最大の見どころとなるのが氏子各町会の神輿連合渡御です。

約20基の神輿がそれぞれの地域を渡御します。

縁起物の「千木筥」が有名!

上記、ダラダラ祭では縁起物の千木筥(ちぎばこ)が授与されますが、この千木筥の中には大豆が入っており、タンスに入れることによって服が増えるといわれ、女性がこぞってタンスに入れた縁起物です。

現在では東京土産に名を連ねるほどの人気で、特に女性の良縁結びにご利益があるとのことです。

実際に当宮では、縁結びの神である出雲大社の御祭神「大国主命(大国主大神)」を祭祀していることもあり、まさに縁結びのダブルパンチと呼べるべきものです。例えるなら相手の左アゴめがけて右斜め70度からの鋭いアッパーカットが突き刺さる‥などのイメージが縁結びパワースポットと呼ばれる所以ではないのかと。例え よう分からん

なお、千木筥は普段でも縁起物として社務所で授与されています。千木筥の由来や詳細は下記ページにて。

東京十社めぐり

東京十社(10社)めぐりとは、明治元年に明治天皇が幣帛を奉納させるために勅使を下向させたほどの格式を有した東京都内の10つの神社のことです。

これら10社を「准勅祭神社」と呼称しますが、現在は「准勅祭社制度」が廃止されていることから、「元」が付されて「元准勅祭社制度」と呼ばれています。

「准勅祭神社」とは、天皇からの奉納があるほどの「勅祭社」に准じた格式を有した神社だという意味です。

「准勅祭神社」は、かつては12社ありましたが、昭和50年に昭和天皇の即位50周年を奉祝して、遠地の2社を除外する形で新たに東京10社として復興されています。

東京十社一覧
  1. 芝大神宮【一千年の歴史を誇る】
  2. 品川神社【新東京八名勝】
  3. 赤坂氷川神社【赤坂の鎮守社】
  4. 日枝神社【皇城の鎮】
  5. 白山神社【美しき紫陽花の名所】
  6. 王子神社【開運除災・子育大願】
  7. 根津神社【日本武尊創祀の古社】
  8. 神田神社【江戸総鎮守】
  9. 亀戸天神社【亀戸の天神さま】
  10. 富岡八幡宮【江戸最大の八幡様】
東京十社の日がある?

なんでも10月10日は数字の語呂合わせで、”10=東京(とお=とう)”、”10=十社”になることから、信者の間では10月10日を東京十社と定める動きがあるようです。

なお、東京十社めぐりに期限のようなものはなく、1年かけて巡る方もいれば1日で巡る方もいるとのことです。

東京十社には専用の御朱印や記念品がある?

これは東京十社の公式サイトを閲覧されたらお分かりになると思いますが、特別頒布の御朱印や記念品は特にないようです。

あま酒

「文政町方書上」という古文書に拠れば、「御鎮座当時の故事に基づき、厄除開運に著しい」の記述が残されており、かつては祭礼中に氏子の家々で甘酒を造って当宮へ奉納し、さらに参拝客にもその甘酒を振る舞ったそうです。

その後、廃絶したようですが、現在ではこの風習を復興する動きがあり、例祭期間は参拝者に振る舞い甘酒を行い、これを後世に伝え残そうとしているようです。




芝大神宮の歴史・由来(年表)

※以下、一部画像「国立国会図書館」より引用

平安時代

1005年(寛弘2年)10月21日、当宮・芝大神宮が武蔵国・飯倉に創建。

飯倉とは、現在の芝公園の一角に位置する「芝丸山古墳」のあたりの地名のこと、ゆえに「飯倉神明社」と称される。

当時の飯倉の地には、武蔵国に置かれた伊勢神宮の飯倉御厨(みくり/遠隔地にある神饌(お供え物)を用意するための建物)があり、これを守護するために建てられたのが「神明社」という社であり、これが当宮の前身とされる。すなわち、起源。

この神明社には伊勢神宮の内・外宮から主祭神である天照・豊受大御神を勧請して奉斎。併せて、日向国鵜戸郡の霊石とされた「鵜戸石」と「剣」を神宝として社殿に奉納される。

これらの事実は1360年(延文5年)に成立したとされる「神鳳鈔(じんぽうしょう)」の記述に見られる。

⬆️江戸名所図会より「飯倉神明宮境内の様子」

鎌倉時代

1185年(元暦元年)、鎌倉幕府の初代将軍「源頼朝」は当宮に神領を寄進。

1193年(建久4年)には自らが社参し、1300余貫の地を神田として寄進す。

室町時代

1337年(建武4年)、足利尊氏の実弟・足利直義が戦勝祈願を神仏に誓う旨の書状を奉納す。

1400年代後半(戦国時代)、武蔵国守護代の太田道灌から篤い崇敬が寄せられる。

1588年(天正16年)7月24日には北条氏直より、柴村(当時の芝一帯)に制札(せいさつ/”おふれがき”のこと)が立てられるが、この立て札は現在、神社が所蔵しているとのこと。

1521年〜27年(大永年間)には、付近の村から度々、出火す。大風に煽られ類焼し、しばしば大火に見舞われ、その都度、再建される。

安土桃山時代

1590年(天正18年)7月19日、太閤秀吉が奥羽平定の折、江戸進発の際に当宮へ社参し、戦勝祈願す。

江戸時代

1590年(天正18年)7月19日、太閤秀吉に続き、徳川家康も同年8月1日に江戸入府に際して社参す。

1591年(天正19年)11月28日、武蔵国日比谷郷に社領15石を寄進す。

1598年(慶長3年)8月、増上寺が当宮の旧鎮座地(芝公園)へ移転す。代地として、当宮は現在地(港区芝大門)へ移転す。

⬆️移転した後の境内地の場所(地図)※現在地(1858年/安政5年)

⬆️移転後の芝大神宮(右側)手前は松林(現在も有る)。奥に見える門は現在の御成門か。(現在は御成門交差点)⬆️往時の境内全体図

1600年(慶長5年)9月1日、家康公、関ヶ原出陣に際し社参。戦勝祈願す。

1614年・1615年の大坂の陣(夏・冬)の折、徳川方の戦勝祈願のため、2代目将軍秀忠の正室「お江与(崇源院)」の代参として、家光の乳母である春日局が当宮へ社参す。

徳川家の治世になってから以後、歴代将軍家・幕府の庇護を受ける。これにより境内の造営工事・修復などは幕命主導により執行。また、幕府よりの崇敬篤く、種々の祈祷依頼あり。

明治時代

1868年(明治元年)10月、明治天皇が東京行幸の際、本社を内侍所として小休憩される。

1868年(明治元年)11月8日、准勅祭社の指定を受ける。

1869年(明治2年)7月3日、朝廷より長雨による止雨祈祷の依頼がある。

1870年(明治3年)9月1日、准勅祭社制度が廃止される。これに伴い東京府の府社(県社と同格)となる。

1872年(明治5年)8月30日、東京府ならびに、教部省の認可を経て「大神宮」号を称し、「芝大神宮」という名称が誕生する。

1876年(明治9年)1月4日、火災により焼失。かつて存在した境内社15社もろとも焼失に至る。

1877年(明治10年)3月に再建す。

なお、焼失した境内社は、現在はすべて本殿に合祀されています。

大正時代

1923年(大正12年)9月1日、関東大震災により倒壊・延焼す。

昭和時代

1927年(昭和2年)8月、本殿など主要建造物群が再建される。

1936年(昭和11年)9月12日、かつて境内に存在した境内社15社のうち、末社1社も再建される。この末社に15社の神を合祀する。

1938年(昭和13年)12月、再建が完工する。

1945年(昭和20年)5月26日、太平洋戦争の東京大空襲により、社殿いっさいが灰燼に帰す。

1947年(昭和22年)1月13日に本殿が再建され、1964年(昭和39年)9月12日に本殿の修理が完了。

戦後は神社本庁の所管に入る。

平成時代

2005年(平成17年)9月16日の例祭では、鎮座1000年を祝う「芝大神宮壱千年祭」が36年ぶりに斎行す。

これに乗じ、社務所などの改築を実施し、現在の社観になる。

芝大神宮の御朱印・御朱印帳・お守りについて

芝大神宮の御朱印および御朱印帳については下記ページにて詳しくご紹介しています。

芝大神宮の所在地・電話番号など

芝大神宮の場所と交通アクセス(最寄駅など)

  • 地下鉄:浅草線/大江戸線/大門駅下車 A6出口 徒歩1分
  • 地下鉄:三田線/芝公園駅下車(A4出口)徒歩5分
  • 地下鉄:浅草線・大江戸線/大門駅徒歩1分
  • 地下鉄:三田線「御成門駅」 徒歩5分
  • JR:浜松町駅下車 徒歩5分
  • モノレール:浜松町駅下車 徒歩5分
  • バス:
    都06:渋谷駅もしくは、新橋駅前行き「大門駅」徒歩2分
    浜95:品川車庫前 > 東京タワー行き「大門駅」徒歩2分
  • 車:首都高速道路芝公園出口/約5分

芝大神宮の駐車場

入口鳥居を正面に見て右脇に参拝者専用の無料駐車場あり。ただし、10台も収容できない。基本、結婚式を挙げる人やその関係者が優先。

満車時は付近周辺のコインパーキングを利用。(芝大神宮の周辺にはコインパーキングが相当数ありんす)

芝大神宮の付近周辺の見どころ一覧

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