靖国神社「能楽堂」

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靖国神社「能楽堂」

読み方

  • のうがくどう
造営年

  • 1881年(明治14年)

※1897年(明治30年)改築
※1903年(明治36年)靖国神社に移築

靖国神社「能楽堂」の歴史

芝能楽堂の創建

江戸時代、幕府の式楽(儀式用に用いられる芸能)として保護されていた能は、明治時代に入り、経済的基盤を失って廃業する役者が続出し、一時衰退していました。

そこで、1880年(明治13年)、岩倉具視を始めとする華族らが「能楽社(準備段階では皆楽社)」を設立し、1881年(明治14年)、「能楽を維持・再興、能楽師の保護を行う」、「能楽を通じて健全な社交・娯楽の場を提供する」また、「能楽を愛好する英照皇太后(孝明天皇女御、明治天皇の嫡母)の御教養のため」という目的で、東京都港区の芝公園に能舞台を設けました。

能楽堂は、玉座や貴賓席などが備わった「見所(けんしょ)」と呼ばれる独立した観客席を持ち、総建坪は281坪(約930㎡)、収容人数は数千人という大変大規模ものでした。
※1897年(明治30年)には舞台と見所をつないで空間を一体化する改築が行われています。

930㎡というと、バスケットボールコート(420㎡)2.2面分に相当します。

芝能楽堂の舞台開きは、能楽のすべての流派から代表的な役者が集まり、大変盛大に行われました。

招かれた英照皇太后は大変お喜びになり、この能楽堂での能鑑賞を恒例化したといい、なんと37回も行啓され、照憲皇太后(明治天皇皇后)も13回行啓されました。

「芝能楽堂」の通称で親しまれたこの能楽堂には、日本各地の能役者が集まり、まさに能楽復興の地となりました。

こうして息を吹き返した能楽は、現在、重要無形文化財、および、ユネスコ無形文化遺産に指定・登録されています。




岩倉具視と能

岩倉具視は、芝能楽堂の創建以前から能を好み、自らも仕舞(しまい/紋服・袴のまま舞う略式的な能)を習い、自邸を訪れた明治天皇一行やアメリカの元大統領グラントのため、能を催すなどしていました。

江戸時代から、華族が互いを自宅へ招く際には、能や狂言を上演する慣習はありましたが、天皇に披露したというのはこの岩倉具視が最初で、以降、自宅に天皇が行幸する際は能狂言でもてなすのが、華族や政府高官の間で慣例となりました。

芝能楽堂建設にあたり、岩倉は毎日のように現場に足を運んだといいます。

「能楽」という名称について

江戸時代まで、能は「猿楽」など色々な名称で呼ばれていましたが、能楽社の結成により、「能楽」の呼称が定着しました。

靖国神社へ移築

スタートこそ順調に見えた芝能楽堂でしたが、能楽社に参加する華族や華族からの寄付が思うように集まらなかったこと、借地料や修繕費用、税金などの負担が重かったこと、そして1883年(明治16年)に岩倉具視が亡くなったことなどから、早い段階で経営が苦しくなっていました。

また、能楽の復興に伴い各地に能舞台が建ち始め、芝能楽堂での活動が減ったことも経営悪化に拍車をかけ、ついに能楽会(能楽社の後継組織)は芝能楽堂の維持を断念することになります。

そこで、移転先を模索した末、1903年(明治36年)、能楽会長土方久元(ひじかたひさもと)伯爵により、芝公園から北へ約5㎞ほど離れた靖国神社に奉納されました。

場所が移されたので、それからは靖国神社の所在地名を取って「九段能楽堂」または「靖国神社能楽堂」などと呼ばれました。

靖国神社に移された能楽堂は、様々な祭事の際に能が奉納されるほか、国賓を接待する場所ともなりました。

戦前から戦後

1923年(大正12年)の関東大震災後は、震災で大きな被害が出た遊就館の物置代わりとして使われた時期もありましたが、各地で能舞台が被災したため、その代用とするため、翌年には修復されて能舞台として返り咲きました。

昭和に入り、大規模な合祀祭が度々執り行われるようになると、招魂斎庭を拡張するため、能楽堂は境内の北側の道路を隔てた飛び地に移されました。

この時、土地の広さの都合などから、残念ながら、見所など付属の建物を設けることはできませんでした。

移築された能楽堂では、戦中も、細々と、能の奉納が続けられました。

戦後は、社頭の整備が進み、能楽堂も再び境内に戻され、舞台と楽屋が再興されました。

現在の能楽堂

ご紹介した通り、創建当初に比べて規模は縮小していますが、木造の能楽堂としては都内最古という長い歴史を持つ能楽堂は、長年雨ざらしになっているとは思えないほど手入れが行き届き、今なお美しい姿を見せてくれています。

この能楽堂では、1年を通して、元日の「新年祭」、春秋の「例大祭」、7月の「みたままつり」、9月の「仲秋の季節御神楽の儀(秋の夜長の御神楽)」などの際、能や伝統舞踊、伝統芸能が奉納されています。

特に、4月上旬に行われる「夜桜能」が有名で、多くの人が観覧に訪れます。




靖国神社「夜桜能」の日程・座席・チケット・演目・出演者情報

上述の通り、靖国神社では、毎年4月上旬に、夜桜と能や狂言を同時に楽しめる「奉納夜桜能」が開催されています。

能は、舞台の周りにかがり火が焚かれた幻想的な雰囲気の中披露される「薪能(たきぎのう)」で、例年、人間国宝や重要無形文化財保持者など、そうそうたる出演者を集めた豪華な舞台になっています。

屋外で開放感があり、初心者も愛好家も、くつろいで鑑賞できますよ。

夜は気温が下がる時期ですので、防寒対策をしてお出かけください。

なお、靖国神社の夜桜能を観覧するには、チケットの購入が必要です。

以下では、2019年に行われた平成最後の夜桜能の日程や、座席・チケットの情報をご紹介します。

※2019年奉納夜桜能のチラシはこちらからダウンロードできます。
※最新情報は、靖国神社ホームページの新着情報からご確認ください。

日程・時間・会場

日程・時間

  • 2019年4月2日(火)~4日(木)
  • 各日18時40分~21時

※小雨決行

会場

  • 靖国神社能楽堂および内苑

座席の種類とチケット価格など

座席とチケット価格

  • SS席:12,000円 ※指定席
  • S席:8,500円 ※指定席
  • A席:5,500円 ※特典(特製ポストカード)付き指定席、4月4日(木)のみ
  • B席:3,500円 ※自由席
チケット購入場所

  • 夜桜能事務局オンライン
  • チケットぴあ、イープラス、ローソンチケット、サンライズオンラインなどのプレイガイド、その他オンラインチケット販売サイト

※靖国神社にて当日券の販売がある場合もあります。

チケットに関するお問い合わせ先

サンライズプロモーション東京

  • 電話番号:0570-00-3337

公演内容(演目)と出演者

4月2日(火)

  • 舞囃子「桜川」(さくらがわ)
    出演:小倉敏克
  • 狂言「棒縛」(ぼうしばり)
    出演:野村萬斎・野村裕基
  • 能「祇王」(ぎおう)
    出演:田崎隆三
4月3日(水)

  • 舞囃子「海人」(あま)
    出演:大坪喜美雄
  • 狂言「舟ふな」(ふねふな)
    出演:野村万作・野村萬斎
  • 能「鞍馬天狗 白頭」(くらまてんぐ はくとう)
    出演:宝生和英
4月4日(木)

  • 舞囃子「野守」(のもり)
    出演:角当直隆
  • 狂言「咲嘩」(さっか)
    出演:野村萬斎・野村万蔵
  • 能「恋重荷」(こいのおもに)
    出演:梅若実




靖国神社「能楽堂」の建築様式(造り)と見どころ

能楽堂とは、能舞台と見所の全体を建物で多い、一体化させた建物のことです。

靖国神社の能楽堂の前身である「芝能楽堂」は、現在各地にある能楽堂の先駆け的な建築でしたが、現在は見所などが失われ、能舞台と橋掛(橋懸)と呼ばれる渡り廊下、楽屋のみが残されています。

鏡板

舞台の背後の羽目板を鏡板(かがみいた)といいます。

通常描かれる大きな老松の木は、春日大社の「影向の松(ようごうのまつ)」がモチーフと言われています。

舞台上の音を共鳴させる反響板としての実用的な役割を果たしているのに加え、松に神霊が宿る「依り代」としてのイメージを持たせています。

2016年(平成28年)には、鏡板の修復が実施され、松の絵の美しい彩色がよみがえりました。

春日大社の影向の松とは?

春日大社の一之鳥居をくぐったところにあるクロマツで、芸能の神の依り代とされてきました。

1309年(延慶2年)の絵巻『春日権現験記』にも見えるかなりの老木でしたが、1995年(平成7年)に枯れてしまったため、現在は切り株の隣に後継樹が植えられています。

扁額

舞台に掲げられた扁額の「能楽」文字は、能楽社の発起人の1人であった、旧加賀藩の12代藩主・前田斉泰(なりやす)の筆によるものです。

靖国神社「能楽堂」の場所

靖国神社の能楽堂は、神門をくぐってすぐの右側にあります。

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