東京 愛宕神社の歴史・由来(年表)

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このページでは東京 芝・愛宕山山頂に建つ、出世の階段で有名な芝・愛宕神社の歴史・由来(年表)について講釈たれています。

国貞・二代広重『江戸自慢三十六興 愛宕山毘沙門ノ使』 ※画像はウィキペディアより引用

 

江戸時代

1603年(慶長8年)、徳川家康公の発願により、家康公の念持仏「勝軍地蔵菩薩」を御本尊に据え、愛宕神社が創建される。

まず、造営奉行「石川六郎左衛門尉」により、仮殿が造営される。

慶長15年(1610年)庚戌、本殿はじめ、末社、仁王門、坂下総門、別当所など、徳川将軍家の寄進により造営される。

元和3年(1617年)、2代目秀忠公、武蔵国豊島郡王子村に社領として200石を寄進。

1624年〜1644年(寛永年間)、定説では1634年(寛永11年)2月25日、四国 丸亀藩の調馬の達人「曲垣平九郎(まがき へいくろう)」が騎乗で馬を操りながら、石段を昇って愛宕山山頂への登頂に成功す。歴史上初とされる。

平九郎は愛宕山山頂の梅の枝を手折り、家光公へ献上す。家光公は大喜びして自らの小太刀を平九郎に褒美として与えた。この故事から後に「出世の石段」と呼ばれる。

万永元年、大老・井伊直弼を暗殺するために18名の志士たちが愛宕山に参集す。山頂から井伊の動向を見極めた末、見事、その悲願を達成す。

1863年(嘉永2年)7月18日、江戸大火災にて社殿焼失す。

江戸時代の愛宕神社は円福寺の管理下にあった?!

江戸時代の愛宕神社は出世の階段下にあった別当寺である円福寺の管理下にあったようです。

 

この頃の愛宕神社では毎年正月3日に山伏たちを筆頭とした「強飯式(ごうはんしき)」という儀式が執り行われています。

この強飯式は円福寺の僧侶以外にも、女坂の上にあった「あたご茶屋」の主人も儀式の参加者として参加していたとのこと。

強飯式の強飯とは、”こわめし”とも言い、参加者の頂戴人(ちょうだいにん/御利益を得るためご飯を食べる役)が山伏に山盛りのご飯を食べることを強いられることが由来になっているとか。女房詞の1つ。

明治時代

明治元年、勝海舟が西郷隆盛をこの愛宕山の山頂へ誘い会談に臨む。

会談の最中、勝海舟は山頂から見える江戸市中の景色を指差しで案内し、談笑を交えながら、この景色を兵火にさらすことのむなしさを訴えたと伝えられています。

この後、江戸城の無血開城が実現しています。

1870年(明治3年)5月、 愛宕山周辺の武家地・寺社地に芝愛宕町が起立される。

1872年(明治5年)、芝愛宕町に周辺の武家地・寺社地を併せ、芝愛宕町一丁目〜三丁目となる。また、愛宕下通りを挟んで隣接する武家地が新たに芝愛宕下町一丁目〜四丁目となる。

1878年(明治11年)、芝区の成立に伴い、芝愛宕町と芝愛宕下町は芝区の所属となる。

1886年(明治19年)、山頂に公園が造られる。

1889年(明治22年)、洋館風の「愛宕塔」が建造される。愛宕塔には旅館と西洋料理店を兼ねた「愛宕館」ほか、最上階には望遠鏡、土産物屋なども入店した5階建てビルだった。

1911年(明治44年)5月1日、町名より「芝」の冠称が省かれ、それぞれ愛宕町・愛宕下町となる。

大正時代

1923年(大正12年)9月1日、関東大震災にて社殿群、倒壊・焼失す。この時、前述、愛宕塔も倒壊す。

1924年(大正13年)11月29日、社団法人「東京放送局」が設立される。ラジオ電波が東京中に届く場所として愛宕山に白羽の矢があたった。当選っ!トぅっ!

1925年(大正14年)3月22日、東京放送局(現NHK)でラジオ本放送(仮放送)が開始される。

1925年(大正14年)11月8日、参謀本部馬丁の岩木利夫が愛宕山山頂まで馬での登頂に成功す。

昭和時代

1932年(昭和7年)、関東大震災後の復興に伴う区画整理が実施される。愛宕町二丁目の一部および、愛宕町三丁目は田村町に編入される。また、愛宕下町は四丁目のごく一部を除いて新橋に編入される。

1945年(昭和20年)5月、太平洋戦争の大空襲にて境内「太郎坊神社」のみを残し、社殿群が灰燼に帰す。

1945年(昭和20年)8月17日、太平洋戦争の降伏に反対する「尊攘同志会」の会員らが全国に決起を呼びかけ愛宕山山頂に篭城す。結果、失敗に終わる。後に「愛宕山事件」と呼ばれる。

1947年(昭和22年)、芝区が赤坂区・麻布区と合併して新たに港区が成立す。それに伴い町名に再び「芝」の冠称がつき、それぞれ東京都港区芝愛宕町・芝愛宕下町となる。

1950年(昭和25年)2月1日より、「VHF3ch」にてNHKテレビの試験放送電波が送信開始す。 1952年12月5日にサービス放送を開始、 1953年2月1日に本放送が開始。以後、1958年12月23日までNHK東京テレビの送信所として使われた。

1956年(昭和31年)3月3日、世界初の放送専門博物館として東京放送局旧局舎を使用した「NHK放送博物館」が開館す。

1959年(昭和33年)、氏子などの尽力により、昭和33年に愛宕神社が再建される。

1965年(昭和40年)7月1日、 住居表示の実施に伴い、芝愛宕町二丁目の残余が西新橋となる。

1968年(昭和43年)、NHK放送博物館敷地内に塔屋付4階建てビルが新築される。(当初の建物は現存しない)

1972年(昭和47年)1月1日、 住居表示の実施に伴い、芝愛宕下町四丁目の残余が芝大門となる。

1978年(昭和53年)1月1日、住居表示の実施に伴い、芝愛宕町一丁目と芝西久保広町の一部が現行の愛宕一・二丁目となる。

1982年、日本テレビの特別番組『史実に挑戦』において、馬術のスタントマン、渡辺隆馬が愛宕山山頂まで馬での登頂に成功す。

平成時代

2001年(平成13年)、愛宕グリーンヒルズし、その外構となる愛宕山エレベーターが2002年(平成14年)7月末に完成す。

令和時代

愛宕神社境内の摂社「太郎坊神社」、末社「福寿稲荷神社」の手水舎の屋根葺き替え工事が実施される。令和2年4月〜令和2年9月(予定※無事完了)

末社「えびす大黒社」に関しては旧社殿を解体し、社殿新造す。

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