【等身大の家康公像が眠るパワースポット】芝東照宮(東京都港区)の歴史(年表)・由来や境内の様子・見どころを解説!

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芝東照宮(東京都港区)の歴史(年表)・由来や境内の様子・見どころを解説!

知っていましたか?

増上寺すぐ横に東照宮があったのを。

「東照宮」と聞けば絢爛豪華な日光東照宮がパッとド頭に浮かぶため、そんなド派手な社殿が東京タワーの近くにもあるのか?

‥などと思っちまぃやすが、この港区にある東照宮は「芝東照宮」と呼称し、東照宮シリーズの神社でありながら、かつては増上寺境内の、お堂でだったという少し特異な歴史を有します。

しかも!芝東照宮は本殿が森林に覆い隠されていることから、鳥居の前に来ただけでは神社とは分からず、少し謎めいた雰囲気を持っています。

それと忘れてはいけないのが、未だ本殿には家康が臨終の際まで魂を注ぎ込み続けたとされる等身大の神像を安置されており、家康公のパワーが神像に宿っていると云われます。

以下では、この少し謎めいた「芝東照宮」の歴史や由来・境内見どころと併せて、家康公の魂が乗り移ったような神像についてもご紹介しています。

芝東照宮【日本四大東照宮】

読み方

しばとうしょうぐう

創建年

  • 不明
  • 推定:1616年(元和2年/江戸時代前期)
御祭神

  • 主祭神:徳川家康公(等身大の家康公坐像)
ご利益

厄除開運、家内安全

例祭

4月17日

境外社

  • 円山随身稲荷(境外末社)
関係社

  • 芝大神宮
【補足】「四大東照宮」とは?
  1. 日光東照宮
  2. 久能山東照宮
  3. 上野東照宮
  4. 芝東照宮

芝東照宮の境内の見どころ

入口石碑

日比谷通りから東照宮境内に入ろうとすると、いやでも右側の「東照宮」と大きく刻字された石碑が視界に入ります。

刻銘

「平成十八年 丙 四月吉日」「芝東照宮 宮司」「氏子」

どうやら2006年(平成18年)4月丙の日の縁起の良い日に奉納された比較的、新しい石碑になりんす。

入口石碑脇に見える石橋の高欄

上記、石碑の脇には石橋高欄が見えますが、中央部だけ古材がそのまま使用されています。

ちょっと違和感ありアリですが、この石材を調べていくとある古写真に行き着いたのです。↓

この古写真は明治中頃の芝東照宮の境内入口の様子を撮影したものです。

参道奥にイタズラ坊主3人組が見え、その手前に石橋、その左右に高欄があるのが分かりますか?

おそらくこの石橋は、当宮の江戸創建期より伝わる石橋の高欄だと思われます。気になる方は日比谷通りから芝東照宮へお越しの際は、ぜひ!注意深くみておいてください。

入口石鳥居

高さ約7m、幅約9m。鳥居の種類は明神型鳥居。東照宮シリーズの神社はこのような明神型鳥居が多く散見されます。

向かい見て右の柱に以下の刻銘が見えます。

「奉納 御社號額修復」「-個人の名前(愛宕運送株式会社?)-」「平成十二年八月吉日」

號額(ごうがく)とは、扁額(へんがく)のことを意味し、「號」とは「画家・文人・学者などが、本名のほかにつける名のこと」です。現代風に訳せば「号」となり、神社の社号のことです。

以上まとめると、2000年(平成12年)8月の縁起が良い日(主に大安)に扁額を修理したという意味合いになりんす。

なお、この鳥居は戦後に再建されたものであり、創建当初の鳥居はは福岡藩主・黒田忠之が寄進したものが建っていたようです。

そう言えば、「愛宕運送(倉庫)株式会社?」は、芝大神宮の境内石鳥居も浄財寄進によって修復されています。

御社號額(扁額)

デッカく『東照宮』と揮毫された浮かし彫りが見えます。最後に『家逹』の文字が見えますが、これは人物のことを指し、調べると「徳川家達(いえさと)」という人物のようです。

徳川家達とは?

徳川家達(1863年 -1940年)は、徳川宗家第16代当主。静岡藩初代藩主。1868年(慶応4年)閏4月29日、新政府から慶喜(15代将軍)に代わって徳川宗家相続を許可され、駿府藩主として70万石を与えられています。

1869年(明治2年)6月、静岡藩知事に就任。徳川家ゆかりの地である駿河府中(現・静岡市葵区)へ移住。同時に”府中”は”不忠”に通じるとして、駿府を静岡と改称しています。(静岡の起源)

第6代日本赤十字社社長、帝国議会開設と同時に貴族院議員にも就任。

同氏は、他に懐古園(旧小諸城三之門)入口の扁額も揮毫されています。


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狛犬像

東照宮への境内入口は、芝丸山古墳側と日比谷通り側とがありんすが、正面玄関は日比谷通り沿い側の出入口になりんす。

東照宮の正面玄関には下掲、写真のような狛犬像が左右2駆(体)置かれています。

向かい見て右側の狛犬像

基壇部分の注連縄と紙垂を形どった彫刻がユニーク!意匠を感じる。

⬆️紙垂が風に揺られている様子も表現されている?表現豊か〜 たこ焼き食べたぃ

向かい見て左側の狛犬像

「天明八戊申年(1788年) 正月吉祥日」の刻字が見える。

ということは戦前、もしくは明治時代以前に奉納された狛犬ということになるので、当宮がまだ増上寺の安国殿として存立していた時代に奉納されたことになりんす。

だとすれば往時の増上寺境内の面影を残す貴重な遺産ともいえます。

う〜ん‥。しかし、芝東照宮の狛犬は筋骨隆々としている。一見すると、クソ夏い暑の盛りにデカ蚊のデカ針に刺されまくって、アひゃ〜状態の真っ只中にあるとも見れる。新語・「アひゃ〜状態」⬆️アひゃ〜状態の狛犬の症状。見てコレ!デカ針が炸裂したため我慢できずにツメで掻きむしった痕まで残っている。

狛犬の毛は「獅子毛」という

日本の狛犬の起源は平安時代とされ、大師(空海)が密教護法の意味合いを兼ねて持ち帰ったとされていますが、日本の狛犬の種類が急増したのは江戸時代からです。

この東照宮に見る狛犬像などはまさにその典型であり、上掲写真のデカ蚊デカ針注入!腫れボッコん‥の意匠は、その典型ではないでしょうか。

さて、冗談はこの辺にしておくと、腫れボッコんの部分は実は狛犬の毛になりんすが、狛犬の毛は「獅子毛」と呼ばれ、定説では狛犬が門番として外皮に霊力を堆積させたものが獅子毛になると伝えられているんす。

武田竹塘先生紀功碑

入口狛犬のあたりには、ほぼ昔の字体でクソがホンマにクソほど飛び出して、おケツかぃ〜の‥になるほどの文字がブチ込まれた石碑がありんす。

⬆️なんじゃごりりりりぅゃ!?!

碑文

陸軍大将左大臣議定官ニ品大勲位熾仁親王題額
近世以兵学建功非國家傅業於後進者以先生為巨擘先生諱成章武田氏通
稱斐三郎大洲藩士幼喪父奉母至孝弱冠大阪及江巨修和蘭学又攻英
佛ニ学天才絶倫加以勉強遂究三兵之薀奥安政丙辰秋幕府徴先生任以函館
五稜郭砲臺之建築五歳而功竣就中五稜郭規模極大壘營舎結構
布置悉法和蘭鞏無仕幕府賞其功櫂為旗士文久辛酉夏為亀田丸船長航黒
龍江蓋不籍西洋人之力而航海外者前○未有也元治甲子夏歸江戸歴任開成
教授歩兵指揮長大砲指揮長砲兵頭叙市長鑄大小砲於開口街築友射爐於
王子村明治戊辰夏應松代之請以佛國兵法教其藩士當時 王政復古登
庸人才辛未春先生補兵部省出仕後累官任砲兵大佐仕官学校学科提理叙從
五位米國前大頭領克蘭氏甞学校観生徒之学術練嘆稱不措贈云不譲
宇内著名之兵学校之威至先生與有力焉然以為未盡将有建議而未果
偶罹病歿享年五十有四實明治庚辰一月廿八日也官賜儀仗兵送其曙于淺
草海禅寺又賜祭料今茲辛巳門人故舊相議欲建碑以表先生功徳徴文於予
予輿先生有素故不得障也乃綴其行實之概累孫之以銘曰

奉親 報國忠誠 高才遠識 学通八絋
五稜之郭 士官之 偉武功業 永○令名
明治十四年三月 従五位石川良信撰 正五位日下部東作書

この碑文の内容を読み解けば、武田竹塘という人物に送った碑文だと言うことが分かりんすが、「武田竹塘(たけだちくとう)」とは、「武田 斐三郎(たけだ あやさぶろう)」のことです。

武田竹塘は武田信玄で有名な甲斐武田家の出自であり、同氏の偉業として、箱館戦争の舞台として知られる洋式城郭「五稜郭」の設計・建設に携わっています。

1881年(明治14年)3月、武田の功績を称え、門弟一同の特志により建立。碑文上部の額は有栖川宮熾仁親王の宸筆に拠るもの。

徳川紋の提灯

徳川家の三つ葉葵紋は、家康公がまだ三河(愛知県東部)に在住していた頃に使用していた紋であり、三河武士団はこの葵紋を掲げ、誇りとしてきた歴史がありんす。

家康公の隆盛に伴い、徐々に三つ葉葵紋を使用する大名はいなくなり、畏れ多いとされる紋になります。

徳川時代の幕が開けると、徳川家ゆかりのお家柄しか使用できない紋所となっていきます。

暴れん坊や肛門、あっと黄門!、遠山桜吹雪‥などの時代劇を通して、現在においても誰もが見知るほど有名な家紋になっていますが、にも関わらず、その由緒すなわち起源は不詳となっているのが、なんともミステリあす明日ドコ行こか?‥という点が面白い。で、明日ドコ行くの?

手水舎

手水鉢の形状がユニーク。基礎部分が波模様になっている。先ほどの狛犬像の注連縄の意匠と言い、作者は同じ人物か?

なお、この手水鉢に刻銘がないので、いつから当地にあるのかは不詳

コロナ対策の一環か。竹材を用いた筧(かけひ)の意匠が光る。

奉納者の石碑

献句の碑

芝東照宮のイチョウの木「公孫樹」【東京都指定天然記念物】

  • 推定樹齢:400余年
  • 高さ:約21.5m
  • 幹周囲:約6.5m
  • 根本の周囲:約8.3m
  • 東京都指定天然記念物指定年月日:1956年(昭和31年)8月21日

芝東照宮イチョウの木の歴史

⬆️めちゃブっとい

このイチョウの木はなんと!かの徳川3代目将軍・徳川家光公が1641年(寛永18年)に東照宮の前身となる増上寺・安国殿再建を記念して手植えしたと伝えられています。

後に「公孫樹」と呼ばれるようになっていますが、公孫とは、身分のある貴人の孫という意味ですなわち家康公の孫=家光公を意味するものです。うきゃ

実際に江戸名所図会にもその姿が見られます。

⬆️江戸時代後期の芝東照宮境内の様子

1930年(昭和5年)に当時の史跡名勝天然紀念物保存法に基づいて、国の天然紀念物第二類に登録されましたが、1952年(昭和27年)に文化財保護法の改正により、登録は一旦、解除。

その後、1956年(昭和31年)に東京都の文化財保護条例に基づき、「東京都指定天然記念物」として再指定されています。

なお、イチョウ手前の銘入りの石柱は昭和11年(1936年)3月に建立した旨の刻銘が見えます。

⬆️「公孫樹」の銘が見える

つくばいと石灯籠

現在は使用されていないと思われるが、竹製の筧(かけひ)と”つくばい”、その右脇に石灯籠が見える。

大曲り式の飛び石が、さながら庭園の意匠を醸す。


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本殿(拝殿)【旧・国宝】

  • 創建年:1633年(寛永18年/江戸時代初期)
  • 再建年:1641年(嘉永18年)、1969年(昭和44年)8月
  • 建築様式(造り):権現造り
  • 材質:鉄筋コンクリート造

本殿手前の向かいみて右脇の壁面に貼り付けられているプレートを見れば、以下のような内容の事が記載されています。

本殿の扉の材質は「小豆島産ヒノキ材」。平成25年10月吉日に奉納・設置。施工は社寺建築では超がつくほど有名な「株式会社金剛組」。世界最古の企業としても有名。四天王寺(大阪)の戦後の伽藍再建で有名。

向かいみて左脇のプレートには下記のような内容。

『幣殿、拝殿、祭舎、神饌所、神庫、かざり金物改修 平成二十六年 三月吉日』

どうやら奉納者は小豆島の企業。

⬆️拝殿前から見た入口石鳥居。敷石は和風庭園を醸す「四半敷き」の意匠。

本殿の扁額

草書体の金文字で「東照宮 ○峰謹書」と書かれている。作者は不詳。

明治中期の芝東照宮・本殿の姿

以下、画像引用先:https://dl.ndl.go.jp/

⬆️かつては日比谷通り沿いに軒唐破風の四脚門が建っていた。奥みチラ見えするのが前述の拝殿前の石階段。

⬆️芝東照宮の本殿。アコーディオン式の両開き扉に日光東照宮顔負けの組物、彫刻、かざり金具の装飾の意匠が光る。大猷院(日光)の本殿に造りや装飾がソックリくりクリ。

本殿に安置とされる家康公の寿像

画像引用先:https://www.museum.or.jp/

  • 造立年:1601年(慶長6年)
  • 像高:101.2㎝
  • 造立方法:寄木造、玉眼
  • 作者:不詳
  • 所有者(所蔵):芝東照宮

本像は、還暦を迎えた家康公が自らの長寿を祈願して作らせた等身大の寿像(じゅぞう/=存命中に造る彫像)だと伝えられています。

1601年(慶長6年)正月に齢60歳を迎えた家康公が、衣冠束帯姿で作らせたそうです。

言い伝えによれば、完成後、自らの隠居先となる駿府城にて本像を安置し、城内にて祭儀を執り行ったりしたようです。

その後、死の間際に登城した増上寺の僧侶へこう告げられたそうです。

「寿像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」

要約すると自らの魂が宿りしこの寿像を増上寺に移して祀れば、天にいる自らが国家を安寧に導くとも解されます。

この後、すみやかに安国殿の創建計画が成り、当代の造営奉行であった土井大炊助利勝(後の大老・土井大炊助利勝)の手引きにより、駿府城から増上寺安国殿へ送り届けられることになりんす。

現今に至っては、生前の家康公の御姿を伝える資料としては貴重なものです。

本像が家康公の尊像である事実は1785年(天明5年)に編纂された「御由緒抜書」に「家康公の死後、遺命により増上寺安国殿に移された」なる旨の記述が残されていることに拠るものです。

この尊像は一般参拝者が普段、お目にかけることは叶いませんが、江戸東京博物館の6階にて本像のレプリカが常時展示されています。

間近で見てみたい方はぜひ!マジか?(間近….プっ)

江戸東京博物館の場所(地図)

社務所

ここではお守り、御朱印、御朱印帳を授与されています。

授与受付時間:午前9時〜午後16時30分まで(変動もあるので都度、ご確認ください)

おみくじ

社務所の前には、「木製クソだるま みくじ」という”おみくじ”が置かれ‥あ、神だるまか。失礼 オホ 。‥と、いう”おみくじ”が置かれています。

1回100円。

ただ、箱の中をよく見ればダルマごろゴロもとどおり‥らしきものが入っていませんので、どうもクソだるまみくじが以前入っていたBOXを再利用しているのでしょう。おダルマおダルマごろゴロごろ♪ おダルマおダルマごろゴロごろ♪

おみくじと絵馬と吊るす場所

葵の井戸?

本殿を向かい見て左脇、社務所を向かい見て右脇の茂みの中には「葵の井戸」と書かれた木看板を見ることができます。

木看板に書かれている内容

「歴史葵の井戸記念物」「金魚・めだか(井戸)」「金魚・めだか 餌を遣ってください」

現在は写真をご覧になれば分かるようにフタがされて閉じられており、どうも一般開放されていないようです。

実はこの葵の井戸、ちょっとした由緒を持つ井戸のようで、なんでも太平洋戦争の空襲の折、当宮の御神体である家康公の寿像を護るために宮司自ら、付近の井戸へ隠して戦災を逃れたとされていますが、まさにその井戸こそがこの葵の井戸なのでは?と思われます。

星野高士句碑建立記念俳句碑

上記、イチョウの木のあたりには以下のような「星野高士」の句碑が2つ並んでいます。ウフ

碑文

発起人
「咲き満ちて宮居に句碑に花明り」静雄
「歳月は美しきかな梅ひらく」酒井郁子
「日脚伸ぶけふの宴はタンシチュウー」檀太郎(俳号 旦士)
「小夜時雨遣らずの雨ととヾめらる」西川阿舟
「坂道の終わりの空の山椿」中島信也(俳号 新)
「絵巻めく東照宮の花吹雪」桂

「木の実独楽父にはいつも敵はざり」川崎城春
「残したき言の葉ばかり宮乃春」高橋カ女
「これよりは宮の小鳥に遊ぶ句碑」石川墨水世
「初蝶は立子の使者よ句碑披き」中村代詩子
「夕映えの雲をふちどる街の冬」森みち子
「句碑涼し関八州をそびらにし」長尾光風
「マイウェイ声高らかに年志」奥佳士朗
「結び目をほどくときめき懸想文」森孝子

星野高士句碑

「人にまだ 触れざる風や 朝桜」
「長編の 虚子の一書を 読始」
「法師蝉 鳴いてゐる木と すぐわかる」

星野高士とは?

星野高士は高浜虚子のひ孫にあたる人物です。祖母の星野立子に師事して、十代より句を詠みはじめた俳人。

その星野立子とは、なんと!かの有名な文豪・高浜虚子の次女!虚子に師事し昭和期を代表する俳人にまでなっています。


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芝東照宮の歴史・由来(年表)

江戸時代

推定1616年(元和2年)、家康公の御霊(尊像)を祀るために安国殿が土井利勝(幕府)の主導により建立される。

ちなみに「安国殿」の名称の由来は、家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」に拠るもの。

江戸時代後期の増上寺伽藍と芝東照宮(安国殿)の様子

江戸名所図会・増上寺の項の第三項と第四項には、往時の増上寺境内と安国殿(芝東照宮)などが描かれています。

⬆️上掲白黒写真を見れば階段が2つあることが分かる。

この古写真を見れば分かるように本殿(安国殿)の前には拝殿のような建造物があることが分かります。

この拝殿は現今の東照宮境内には見当たらないことから、戦災によって焼失し、その後再建されなかったことになりんすが、いったいドコにあったのか?

これを現在の写真に当てハメてみましょうかまず、これが現在の東照宮境内の全体図です。

車が止まっている駐車場がかつての参道です。鳥居は駐車場の真ん中あたりに立っています。

駐車場を通って本殿へ進むと‥階段が合計で2つ出現します。

1つ目の階段(最初の階段)はココ↓

⬆️これは1つ目の階段

そしてそして‥この階段を上がると‥↓ここにかつて拝殿が建っていた。

⬆️おそらく家光公のイチョウの脇にあるこの場所に拝殿があった。

⬆️2つ目の階段は本殿の前!かつては本殿前に四脚唐門があった。

創建当初の本殿は入母屋造!現今の本殿は権現造り!

上掲の白黒写真を見れば分かりますが、造営当初の安国殿は現今の権現造りではなく、正面 階隠し唐破風屋根附属の入母屋造であることがわかりんす。

現在の社殿は横から見た時、横長の形状をしていますが、これはつまり、現在の拝殿の位置に唐門があったことを意味します。(本殿(母屋)の位置は変わっていないと思われる)

⬆️現今の権現造りの社殿(横に長い※奥行きがある)⬆️後方に位置する円山随身稲荷から芝東照宮の本殿を見たところ

明治時代

上述した通り、芝東照宮は増上寺の安国殿が前身ですが、この安国殿は明治初頭に発令された神仏分離政策のため、増上寺から切り離される。その後、家康公の御霊(尊像)を祀ることから「東照宮」を称す。

家康公の尊像(御神像)はそのまま本殿にて安置し、これまでと変わらず奉斎することになりんす。

1873年(明治6年)に「郷社」に昇格す。

諸社(民社)の区分と順番
  • 府社=県社=藩社>郷社>村社

大正時代

1915(大正4年)、本殿が特別保護建造物(旧国宝)の指定を受ける。

昭和時代

1945年(昭和20年)5月25日の太平洋戦争の空襲被害により、御神像、天然記念物のイチョウ(公孫樹)などを除いて境内灰燼に帰す。

1961年(昭和36年)に「復興奉賛会」が結成される。

1963年(昭和38年)、家康公の尊像(御神体の寿像)が「東京都重要文化財」の指定を受ける。

1969年(昭和44年)8月17日、復興奉賛会により社殿が再建される。

平成時代

2006年(平成18年)4月丙の日に境内入口の社号碑が奉献される。

2000年(平成12年)8月、鳥居の扁額が修理される。

2012年(平成25年)10月吉日、本殿の扉が新造・奉献される。

芝東照宮の御朱印・御朱印帳について

芝大神宮の御朱印および御朱印帳については下記ページにて詳しくご紹介しています。

芝東照宮の所在地・電話番号など

芝大神宮の場所と交通アクセス(最寄駅など)

    • 地下鉄:三田線/芝公園駅下車(A4出口)徒歩1分
    • 地下鉄:浅草線・大江戸線/大門駅徒歩8分
    • 地下鉄:三田線「御成門駅」徒歩2分
  • JR:浜松町駅下車 徒歩12分
  • モノレール:浜松町駅下車 徒歩12分
  • バス:
    ちぃばす:新橋駅方面/芝ルート
    都06:目黒駅前 > 渋谷駅または新橋駅前行き「芝公園」下車 徒歩1分
    車:首都高速道路芝公園出口1分

芝大神宮の駐車場

芝東照宮の参拝者専用駐車場はありません。

鳥居の内側、参道両脇に見える駐車場は、すべて月極駐車場です。

このため付近周辺の駐車場を探すことになります。

芝東照宮付近の駐車場一覧

芝東照宮の付近周辺の見どころ一覧

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