靖国神社「到着殿」
造営年
- 1933年(昭和8年)
建築様式
- 入母屋造、木造平屋建て
※壁面は漆喰塗り
屋根の造り
- 銅板葺
靖国神社「到着殿」の歴史
靖国神社の到着殿は、1933年(昭和8年)、「軍人勅諭下賜五十年記念」として建てられました。
皇族や華族など要人や、地方から訪れた戦没者遺族の参拝控室として利用されてきた建物で、当初は「記念殿」とも呼ばれていました。
一般には公開されていませんが、政治家や外国からの来賓などが参拝する際は利用されています。
なお、到着殿は、靖国神社境内の中で、本殿、拝殿、遊就館などと共に千代田区の景観まちづくり重要物件に指定される建造物の1つです。
軍人勅諭とは:
1882年(明治15年)1月、明治天皇が陸海軍に賜した勅諭。正式名称は「陸海軍軍人ニ下シ給ヘル勅諭」。
天皇が軍の統帥権を持つこと、軍人は政治に関与しないことなどが記され、忠節・礼儀・武勇・信義・質素の、軍人としての5つの徳目が説かれています。
靖国神社「到着殿」の建築様式・特徴
到着殿は木造平屋建ての建物で、隣の参集殿と同じ、入母屋造の建物です。
正面には、近代の和風建築に特徴的な大きな唐破風の車寄せ・玄関を供えています。
玄関を入ると、「榊葉」「桐花」「菊花」と名付けられた3つの貴賓室が、襖を隔てて並んでいます。
窓の外には枯山水の庭園がしつらえられ、内部には、かつて要人が訪問したことを偲ばせるサーベル立てや和紙の記名帳、調度品などが展示されています。
榊・桐・菊について
到着殿の貴賓室の名称となっている、榊、桐、菊について、簡単に触れておきます。
榊(さかき)は、玉串にしたり、神棚に飾ったりする、神道と関係の深い葉です。
神と人との境界を表す「境木」、あるいは、常緑で繁栄を象徴する「繁(栄)木」などが語源とされます。
桐(きり)は、日本国政府の紋章にもなっており、昔から皇室の家紋としても用いられてきました。
菊は、皇室を象徴する柄です。
「菊の御紋」とも呼ばれる十六葉八重表菊は、天皇や皇室を表す紋章になっています。
靖国神社でも、神門や南門の扉、拝殿の幕など、至るところで菊の紋が見られます。
8月15日の到着殿
到着殿は、靖國会館側に入口があり、裏側は本殿への回廊とつながっています。
政府要人などが昇殿参拝をする際は、一度到着殿に入ってしまえば、外に出ることなく参拝を終えられるようになっているのです。
毎年8月15日の終戦の日には、国会議員らの参拝が話題になりますが、それを報道するため、到着殿前には多くの報道陣が詰めかけます。
多くの政治家はこの到着殿前まで車で乗り付けて、参拝に向かいます。
靖国神社「到着殿」の場所
到着殿は、本殿の向かって右側の回廊に接続しています。
参集殿の隣にあり、入口は靖國会館の正面となっています。
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