水と火のパワースポット?芝・愛宕神社境内の様子や見どころを知っておく?

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東京都愛宕山の山頂に位置する愛宕神社の名物といえば、泣く子も黙る「出世の階段」が有名ですが、オっさんがこの階段をよじ登るときは、ちょぃと注意が必要!

なにせ境内が愛宕山という都内でもっとも高い山の頂にある上、階段数もヤヤ長の86段を誇り、さらに問題はその階段の角度!なんと37度もありんす!

よって、オッさんがこの階段を昇って境内へ辿りつく頃には息切れ必至!ゼぇゼぇと息を切らしていることでしょう。ハぁハぁ‥ゼぇゼぇ‥もぅアカン。…あ、オッさん。。

以上、このページでは東京港区に位置する愛宕神社の境内の様子や見どころをご紹介しましょう!ウフ

  ⬆️階段が長い上、境内が山頂にあるので階段しか見えない。

愛宕神社

読み方

あたごじんじゃ

創建年

  • 1603年(慶長8年/江戸時代前期)9月14日
再建年

  • 1877年(明治10年)
  • 1958年(昭和33年)9月
境内敷地面積

  • 坪数:3750坪
  • 敷地面積:11558.25㎡
主祭神

  • 火産霊命(ほむすびのみこと/火の神)
配祀神

  • 罔象女命(みずはのめのみこと)
  • 大山祇命(おおやまずみのみこと)
  • 日本武尊(やまとたけるのみこと)
  • 将軍地蔵菩薩(しょうぐんじぞうぼさつ)
  • 普賢大菩薩(ふげんだいぼさつ)
発願者

徳川家康公

ご利益

火難除け、出世運UP!!勝負運UPUP!GOGO!

社格

全国愛宕神社900余社のうちの一社。
愛宕神社の総本社は京都府京都市右京区に位置する明智光秀ゆかりの社。

川柳

『伊勢へ七度 熊野へ三度 芝の愛宕へ月まいり』




愛宕神社の境内MAP(地図)

愛宕神社の境内はそれほど広くはなく、社務所と本殿を中心とした小ぢんまりとした敷地に、あらゆる見どころが凝縮されているといって感じがします。

愛宕神社の境内は、なかなかユニークなおもてなしの心が感じられますので、石段を上がって来られたら、ぜひ、グルりと回ってみてください。

愛宕神社の参拝コース(参拝の順番)※一例

愛宕神社は社務所と本殿を中心とした境内地自体はそれほど広くはありませんので、参拝ルートのようなものはありんせんが、出世の石段から上がると手水舎が左側にある関係で左回りする感じで巡るのが良いと思われます。

1.大鳥居

2.男坂(出世の階段)

3.一の鳥居

4.手水舎

5.弁財天社

6.丹塗りの門

7.招き石

8.将軍梅

9.大黒天社

10.福寿稲荷社

11.太郎坊社

12.社務所
お守り、御朱印、御朱印帳の拝受。

13.茶店

愛宕神社の境内の見どころ

出世の階段(男坂)

愛宕神社最大の名物もしくは有名どころとなるのが、この出世の階段ではないでしょうか。

角度は37度と言われ、階段数は86段、その標高は25.7mにも及びます。

【補足】出世の階段中央の親柱の刻銘

明治十三年十二月廿四日 造

上記、どうやら出世の階段の中央の鉄鎖の手スリは明治13年(1880年)に奉納されたよう。

出世石段祭り(隔年)

愛宕神社では、この平九郎の故事にちなみ、約2年毎の9月23日に「出世の石段祭り」が斎行されます。

かつては観覧客が見守る中、馬で駆け上がる祭典だったようですが、現在では馬の代わりに神輿を男連中が担ぎ上げて境内まで登っています。

なにせ急角度なので、神輿に変わってもスリリングさは変わらず、観覧客は途中で落とさないかとヒヤヒヤしながら見守ります。

女坂

⬆️下からみた女坂の様子。男坂と比べて圧倒的に角度が緩やか。足腰に自信のない方は無理をせず女坂で妥協を。

愛宕神社の女坂は男坂(出世の石段)の右側にあります。

女坂を含めた出世の階段の詳細については下記ページにてご案内しておりまする〜〜‥‥‥。




入口の石灯籠

上述、鳥居の前には2基の石灯籠が立っています。

⬆️正面に見て左脇の石灯籠

⬆️正面に見て右脇の石灯籠

風化して見づらいが、以下のような刻銘が見える。

「延寶三年」「奉献 石灯籠 一隻」「十二月吉日」「藤原朝臣政○」

以上のことから、延宝3年(1675年)12月に「藤原朝臣政○」という人物が奉納したことになりんす。

⬆️火袋の意匠が光る

出世の石段正面の狛犬像

⬆️向かい見て右脇の狛犬像

⬆️向かい見て左脇の狛犬像

この2躯の狛犬像の奉納者は本殿前に立つ朱色の四脚門と同じ。昭和8年(1933年)7月に奉納された狛犬像。

大鳥居

出世の階段の前に建つ色あざやかな朱色の鳥居です。

この大鳥居の前はフォトジェニックポイントです。思い出に残る一枚をぜひ!

⬆️反対側からみた大鳥居

出世の石段途中の石灯籠

刻銘

「寶歴十庚辰○月吉日」

宝暦10年(1760年)に奉納された石灯籠。

石鳥居

出世の石段を上がった所には石造りの鳥居が、そびえ立っています。

鳥居の両柱の刻銘

御創建四百年記念

平成十五年癸未歳 改装

どうやら平成15年(2003年)に改装されたようです。

手水舎

龍之口(龍口)

体躯に対比して、実に大きく隆々とした、まるで鷹の足のような足?そう言えば龍は手なのか?足なのか?

水盤

「心洗」と刻字されている。

刻銘は見えなかったが、奉納者名が”株式会社”だったので最低でも明治以降に奉納されたものと思われる。




招き石

看板には「この石をなでて福を身につけてください」と書かれています。

確かに石ころコロコロどこ行くの‥にしては、かなり歪な形状をしています。

ドラクエに登場するドロヌーバが泥から出てくる瞬間に似ている。

⬆️幾多の参拝者たちが触りまくった様子がうかがえる。さする=磨かれてピカっている。逆の意味でワックスがけ永久に不要=節約‥ウぃっキ〜!

丹塗りの門(四脚門)

本堂の前に立つ門正面に見える蟇股に徳川家の三つ葉葵紋が、これ見よがしに見える実に堂々とした佇まいの紋です。

かざり金具の装飾などは、2018年(平成30年)に修理したばかりの、まばゆい光沢を放つ旧増上寺の二天門に見える意匠そのものです。

徳川家の三つ葉葵紋

この愛宕神社は幕府主導で創建されたとだけあって随所に、まばゆいばかりの徳川紋が見られます。この四脚門に見られるものはその代表例。

徳川紋は徳川家の隆盛と共に格式高い紋になっていき、やがて徳川一門やそのゆかりのある家柄しか使用できなくなっていった紋。

⬆️提灯の徳川紋

六葉金具の形状

門両脇の妻側・懸魚六葉に見える乳唄(ちちばい)の意匠が光る。まるで本宮(京都 愛宕神社)で使用されている明智の桔梗紋の桔梗(ききょう)が今まさに開花しかける様子を描いたようなデザインをしている。(ただし桔梗紋は5角形)

二軒吹寄垂木

吹寄垂木(ふきよせたるき)とは、あまり見かける機会は少ない造りですが、垂木を2本ずつ寄せて抜いていく(組んでいく)技法です。上掲、写真をご覧になれば分かります。

二軒とは二段と書いた方が分かりやすいかも知れませんが、吹寄垂木が上下2段になっていますが、これを「二軒(ふたのき)」と言います。

付近では、心光院の表門で見かけることのできる建築様式でゴザんす。

他に「三軒(みのき)」という稀有な垂木組みもありんす。

桟唐戸

扉は増上寺三解脱門(三門)でも見られるような框が用いられた桟唐戸(さんからど)です。上部に据えられた徳川紋は、天下の将軍家たる格式の高さを誇示しているかのようです。

将軍梅(曲垣平九郎手折りの梅)

1624年〜1644年(寛永年間)、定説では1634年(寛永11年)2月25日、徳川秀忠の3回忌として増上寺へ参向した帰り、時の将軍・家光公は愛宕山の山頂に生えていた枝ぶりの良い梅が目に留まり、「誰か、あの梅の枝を騎馬にて取ってくる者はおらぬか」と家臣一同に告げたそうな。

しかし家臣たちは急勾配の石段を見るなり困惑した表情を浮かべるのですが、そこへ突如、一騎の武者が馬をあやって石段を駆け上がり、あっと言う間に山頂までたどり着き、梅の枝を手折って家光公に献上したそうな。

家光公はこの武者に名を訪ねると武者は「自分は、讃岐丸亀藩家臣 曲垣平九郎(まがき へいくろう)」と言い、家光公は「この者、日本一の馬術名人なり」と、たいそう褒め称えたそうな。

以後、曲垣平九郎は出世を果たし、この故事は講談や浪曲にて「寛永三馬術」の演目で演じられるようになりまする。

それゆえ、いつしか「出世の階段」と呼ばれるようになるのでゴザる。

一方で、曲垣平九郎が手折った梅の樹もこの一件以降、「曲垣平九郎手折りの梅(将軍梅)」と呼ばれ、今日まで語り継がれてい申す。

御本殿

  • 創建年:1603年(慶長8年)
  • 再建年:1958年(昭和33年)※現在
  • 祭神:火産霊命(ほむすびのみこと)※主祭神
  • 配祀:罔象女命(みずはのめのみこと)、大山祇命(おおやまづみのみこと)、日本武尊、将軍地蔵尊、普賢大菩薩

愛宕神社の社殿群は1863年(嘉永2年)の江戸で起こった大火災や、関東大震災、太平洋戦争の都度、再建されてきた歴史を有します。

現在見ることのできる社殿は戦後となる1958年(昭和33年)に再建されたものです。

主祭神の火産霊命は火の神です。故に古来、愛宕神社では火難除けのご利益があるとされています。

扁額

宮司自らが揮毫した扁額。

賽銭箱、御簾の徳川紋と沓巻のハートマーク

 

 

本殿の内部の様子

曲垣平九郎が石段を騎馬にて登ったときの勇姿をイメージした絵画が額に入れられて飾られている。

「愛宕山天神」と書かれた神号が見えることから、紹介されている神々以外にも天神(菅公)が奉斎されていると思われる。

弁財天社

  • 祭神:市杵島姫命
  • ご利益:海上交通安全、歌舞、音曲、金運

  • 社格:愛宕神社境内末社
  • 参拝方法:二礼二拍手一礼

この弁天社の祭神は、慶長15年に安芸(宮島)の厳島神社より勧請したご分神を祭祀しています。

弁天池

弁天様が祀られているということは、おおむね付近に池があるということですが、この愛宕神社境内でも例外なく、社殿脇に池が広がっています。

池中に鳥居が建立されており、その手前の藤棚の前に賽銭箱が置かれています。

弁天が池に祀られる理由はご存知ですか?

弁天はインドの神であり、インドでは河川の守護神として岸辺などで祀られていたのです。

日本へ伝来して以降は日本独自のスタイルを持つ神になっていきます。鎌倉時代になると蛇神信仰(龍神信仰)と習合し、蛇神としての側面も持ち合わせます。よく弁財天像の頭上に宇賀神(うがじん)という身体が蛇で頭が人の顔をした像が乗っている姿が散見されます

児盤水の滝

旧記によれば、かつてこの愛宕の地には児盤水(こばんすい/小判水とも)という霊験あらたかな名水がコンコンと湧き出ていたそうな。

933年(承平3年)の「平将門の乱」の折、「源経基」と言う武将がその児盤水で水垢離を行い、愛宕の神に祈誓し、その後、神のご加護によって乱が鎮まったそうな。

この弁天池の鳥居の奥をよく見れば、ザァザァと流れる滝が見えまする。名水とまではいかなくても愛宕の地にある池として、霊験ある同様の御神力が宿るものとして、心の安らぎを得られる東京の新名所として思っていただければ幸いです。‥‥‥というかつての愛宕神社の宮司が残した言葉でした。

この宮司さん、なんでも能楽師(能を演じる役者)という側面も持ち合わせたそうです。テレビにも出演したほどの腕前で「鏑木岑男(かぶらきみねお)」という名前で活躍していたとのこと。




神苑?庭園??

愛宕神社では令和2年4月〜令和2年9月の間、境内、社務所奥の神苑?庭園??‥‥が工事されており、現在、この神苑に後述する3社の社殿が遷座されています。

太郎坊神社

  • 祭神:猿田彦神
  • ご利益:道びらき(開運)、交通安全
  • 社格:愛宕神社境内末社
  • 参拝方法:二礼二拍手一礼
太郎坊神社は現在改修工事(屋根葺き替え)中につき参拝不可

工事期間(予定):令和2年4月〜令和2年9月

※追記※工事は無事終了しています。上掲写真は工事後の写真。以下は工事前の写真。

この社では、京都鞍馬の兄弟天狗のうち、兄の太郎坊天狗を祀っています。しかしながら当神社の祭神は猿田彦神になりんすが、言い伝えによれば、猿田彦神は鼻が120㎝ほどもある異形の面持ちをしていたとされ、これが後に同じ長い鼻をもつ天狗と習合しています。

猿田彦神は天照大神の命令により、孫神のニニギを天孫として地上世界へ降らせた折、途中の天之八衢(あまのやちまた)にて一向を出迎え、無事に地上までの案内をしたと伝えられています。

福寿稲荷神社

 

  • 祭神:宇迦御魂神
  • 社格:愛宕神社境内末社
福寿稲荷神社は現在改修工事(屋根葺き替え)中につき参拝不可

工事期間(予定):令和2年4月〜令和2年9月

※追記※工事は無事終了しています。上掲写真は工事後の写真。以下は工事前の写真。

  • ご利益:商売繁盛、五穀豊穣
  • 参拝方法:二礼二拍手一礼

えびす大黒天社(大黒天神祠・恵比寿神祠)

 

  • 祭神:大國主命、事代主命(合祀)
  • ご利益:商売繁盛
  • 社格:愛宕神社境内末社
  • 参拝方法:二礼二拍手一礼
  • 例祭日:11月甲子:大國天祭/1月10日:十日えびす/10月20日:二十日えびす
えびす大黒天社は現在、社殿新築工事中につき参拝不可

工事期間(予定):令和2年4月〜令和2年9月

※追記※工事は無事終了しています。上掲写真は工事後の写真。以下は工事前の写真。

3社が建つ神苑前に設けられた鳥居(社務所前)

この鳥居は工事前からあったものです。この3社へ正式参拝されるのであれば、鳥居をくぐる必要があるので、本殿へ先に参拝されたのであれば社務所前から回り込む形になりまする。

この鳥居をくぐると神苑の中へ入って行くことができまする〜。

神苑への出入口

神苑へ入るには社務所前に設置された通路を通って行きます。

ウッドデッキを用いた通路なので神社の境内ながら冒険心を煽られる。

神苑の中の様子

 

上記、3社の前は広がっており、少し庭園チックになっています。初夏6月になればアジサイが開花し、彩を添えまする。

 

他にビー玉を用いた飾り付けや、洋風チックな針金細工 などが置かれ、神社の境内に華やかな落ち着きを演出しています。

社務所

社務所ではお守り、御朱印、御朱印帳を授与されています。愛宕神社はお守りの種類が目移りするぐらい豊富にあります。

  • 受付時間(営業時間):9時〜17時00分頃まで
愛宕神社の新型コロナ感染予防対策について

愛宕神社では新型コロナ感染予防対策として、現在、授与時間が9時〜16時00分までとなっています。

なお、受付時間については急な変更もあるとのことですので、確認したい方は参拝前に電話してくださってもよいとのことです。

御朱印と御朱印帳

 

愛宕神社では御朱印も授与されています。御朱印帳が無い方には社務所にて御朱印帳も販売されています。御朱印帳を購入してその場で御朱印をいただくこともできまする。

お守り

 

愛宕神社では出世の階段にちなんだお守りなどを授与されています。

おみくじ

愛宕神社の社務所では、おみくじも引けまする。

種類はそれほど多くはなく、ごく普通のおみくじと、恋みくじの2種類です。

ただ、これらのおみくじは、愛宕神社オリジナルのものではなく(おそらく)、他の寺社でも見かけたことのあるおみくじです。

⬆️なんと!大吉!千日詣で来て大吉とは‥‥ウィっきぅぃ〜!くっコココココ …ん?なんで急に王騎将軍?

目がいかない愛宕神社の見どころ

銅灯籠

本殿を正面に向かい見て両脇には銅灯籠が2基置かれています。

『昭和8年7月 奉献』の銘が見えることから、どうやら古くからの篤い信仰を寄せる崇敬者に拠る奉納と思われます。

気になったのはこの石造りの社

一間社流造の社殿をモチーフにして作られた石像?

お賽銭が奉じられているから、最初、稲荷神社かと思ったのですが、デザインの構図が近年のもの。はてさて。

⬆️お賽銭が奉納されている

この石造りの社殿がある場所はココ!

この石造りの社殿はジックリくりクリと見てなければ、絶対に見落とすので場所を伝えておくとこのあたり⬇️

最大のヒントは将軍梅のあたり。

三角点

三角点とは、三角測量の基点となるポイントのことです。正確な地図を作成するためには、ある地点から次のある地点までの角度を計測する必要がありんす。

三角点は国家の所管で配置されるものであることから、動かしたり故意に破損させたりすると刑罰が処せられます。

また、三角点には設置される条件があり、設置間隔は約4km。見通しが良い場所。全国に約3万2000点。柱石の一辺は15cm‥などがありんす。

現在、この愛宕神社にあるような三等三角点は2万5千分1地形図を作成するために欠かせない目印となっています。

なお、愛宕神社の三角点は標高25.7mの刻字がありんす。

白猫のシュオン

シュオン:「おぃオッサン、なにジロジロみとんねん。汗カキが!毎日風呂入らんかぃ!臭いんじゃゴラ!!巨大化して腹に収めたろかぃ!」…ニャンコ先生?

愛宕神社には、日向ぼっこが好きな白猫がいますが、どうもこの猫について調べてると愛宕神社で「しずく」や「つゆ」などと呼ばれているようです。お野良かな?

愛宕神社の社務所にこの猫の写真が貼られていたことから、野良猫として飼われているものだと思われますが、白猫というのが実に神々しい。

なお、「シュオン」というのはワタクシめが勝手に付けた名前です。オホ

シュオンの名前の由来

白猫を見るとついつい何も考えず”シロ”と名付けてしまうのが人間のサガというものですが、ここで変化球を投げたつもりでシロを訛らせて→シロン→で、シュオン!‥GO。

シュオン:「アひゃひゃひゃ‥ヒゃ〜」




社務所側面の蜂の巣を使用した軒先飾り

社務所の側面軒下にはベンチが設置され休憩所になっています。

手前には弁天池?があるので社務所裏のベンチに腰掛けながら、小休憩ができます。

驚いたのはコレ!なんと!‥質問!あなたにはこれ何に見えますか?

画像を拡大しましょか。ちょぃと待って‥‥はい!

⬆️‥‥‥。

これを見た瞬間、背中からゾゾっと妙な震えがきて、さらに汗が滝のように吹き出てきたのを思い出します。

コレ!

おそらく間違いなくスズメバチの巣!

大きさは一番ブッとい部分で優に50㎝はあったので、かなりの大型の部類。

モチのロン!今はスズメバチはいませんが、このサイズだと駆除するのにかなり苦戦したと思われます。

近年は空梅雨傾向があったことからスズメバチが増えて、問題視されたこともあるほどです。

社務所横に行けばご覧になれますので、ぜひ!

※2021年6月現在、このスズメバチの巣はすでに撤去されています。画像だけでお楽しみください。うきゃ

吊り灯籠

⬆️全体にサビがまわっているのでかなり古い印象を受ける。

鯉のエサやり

社務所では鯉(恋)のエサが販売されてることから、弁天池でエサやりが楽しめます。

  • 鯉のエサ:100円/個

鯉にエサをあ・げ・て

センチなハートに火をつけちゃおぅ

なお、売店で売られているエサ以外はあげないで欲しいとのこと。

石橋の高欄

弁天池付近には、石橋の高欄の親柱だと思われる石柱がブッ刺さっていますが、これは江戸時代、出世の階段の手前には堀(水路)があったので、この水路に架橋された石橋の親柱とも考えられます。

水路があった事実は江戸時代後期の江戸名所図会に描かれています。

茶屋

愛宕神社の境内にはなんと!茶屋があります。茶屋とはすなわち現代風の言い方をすれば喫茶店のことです。

江戸時代、愛宕神社の境内には茶屋や土産物の露店が軒を連ねており、その名残りとして現在も1軒だけですが、茶屋が残っています。

⬆️コレ!噂の将軍梅の実入りかき氷

記念写真撮影パネル

茶屋の前には記念写真撮影ができるパネルが設置されています。愛宕神社のフォトジェニックポイントです!

この記念写真パネルの絵柄はお分かりになりんすか?

左が噂の「曲垣 平九郎」。右が勝海舟と西郷隆盛です。このような人物のパネルが置かれている理由は、‥‥もぅお分かりですね?


⬆️曲垣 平九郎⬆️勝海舟と西郷隆盛

今は名もなきお地蔵さん

ほおづき市

⬆️上掲写真は2021年6月24日に撮影したもの。ほおずきは午前中で売り切れた模様。
⬆️数鉢だけ残っていたほおずきの写真

江戸時代に編纂された古書物「東都歳時記」によれば、ほおづき市や羽子板市の発祥地はこの愛宕神社境内とされており、これは現今の浅草寺に先駆けるものです。

現在でもこの伝統は受け継がれ、浅草寺ほどの賑わいはありんせんが、往時の盛況を偲ばせます。

愛宕神社のほおずき市の由来

なんでも江戸時代、境内に鬼灯(ほおずき)が自生したようで、これを煎じて子供に飲ませたところ、病気が治ったとのことで、これに端を発し、境内で鬼灯が売られるようになったとのことです。

愛宕神社のほおずき市(ほおずき縁日)の日程

例年:6月23日

ほおずき市は例年6月23日・24日の2日間、開催され、約2000鉢の鬼灯が用意されます。

千日詣り

千日詣りは神仏との縁日とされ、この日に参拝すると1000日分、参拝したことと同じとされています。

このような仏教式の千日詣と称する祭礼は往時の愛宕信仰から派生したものであり、現在の「愛宕講」の教理に拠るものです。

千日詣り(千日詣祭)の日程

例年:6月24日/午前11時より(総本宮とされる京都・愛宕神社は8月1日)

以上、クソほど楽をしまくりたいコノヤローは押し寄せましょう!

なお、この6月24日の千日詣りの日には、並行して「ほおずき市」も開催されています。境内では、お清めを受けた「ほおずき」が販売されます。

関連記事:




愛宕山とは?

実は「愛宕山(あたごやま)」という山は全国に数えきれないほどありんすが、そのうちの1つがこの港区の愛宕山です。

標高25.7mもあり、これは23区内の自然の山としては最高峰になります。注意点としては23区内の最高地点ではないということです。

この一角だけ急に小高い丘陵というよりは「山」になっていることから、地形的に不思議しぎしぎ摩訶不思議なのですが、この地形については地質学の権威たちでも形成のメカニズムが判然としないようです。

また、この愛宕山は洪積層(こうせきそう)の丘陵地であり、江戸時代中期より、修験者の修行の場として信仰の念が寄せられ、江戸時代中期になると庶民層にまで浸透するようになり、やがて「愛宕信仰」の成立へと紐づいていきます。

愛宕信仰における神は「伊邪那岐命(イザナミ神)」

愛宕信仰の中核となる神が、「伊邪那岐命(イザナミ神)」です。イザナミ神はイザナギ神と共に日本大陸を創造した神として知られています。

愛宕信仰におけるイザナミ神は神仏習合時代、勝軍地蔵を本地仏とし、「愛宕大権現(あたごだいごんげん)」として、多大な崇敬が寄せられます。

分かりやすく言うと、イザナミ神と勝軍地蔵が合体した神仏が「愛宕大権現」であり、イザナミパワーと勝地パワーが合体することで「火伏せの神」としてだけでなく「武神」としての信仰も寄せられます。フュ〜ージョン!ピカっ!ピシっ!

愛宕信仰は「愛宕山 白雲寺(現今の京都 愛宕神社)」を総本山に据え、白雲寺から全国の愛宕信仰の修行場へご分神が勧請されていきます。

当愛宕神社の御祭神が火産霊命とされるのは、明治初頭の神仏分離令により仏教色の濃い愛宕信仰は強制的に廃絶されるに至り、信仰の中心であった白雲寺も神道の「愛宕神社」へと改称されてしまったからです。

愛宕神社へと改称されるのと並行して御本尊も神道の「主祭神」に置き換えられ、愛宕大権現から→「カグツチ(火産霊命)」へ改められることになります。

しかしながら、現在でも総本宮である京都 愛宕神社に関しては相も変わらず、本宮にイザナミ神を据え、若宮にてカグツチ(火産霊命)を奉斎していますが、その分社たる全国の愛宕神社では、総本宮の若宮の祭神「カグツチ」を勧請して祀っていることになりんす。

今も息づく「愛宕信仰」

日本の文明開化と言われる明治時代を迎えると、明治維新によってそれまでの仏教主体の国家から神道主体の国家へと生まれ変わるワケなのですが、愛宕信仰は明治時代に組織が解体されてから以降も水面下で信者による信仰が継続され、現今に至っては「愛宕講」として往時の影を偲ばせています。

カグツチとイザナミ神の関係

日本神話に興味のない方であれば、イザナミ神とカグツチの関係性が見えて来ないので、話の筋が掌握できず、チンプンカンプン状態だと思われますが、理由は単純明快でカグツチの母神がイザナミ神になるからです。

イザナミ神はお腹に火産霊神(もしくは”軻遇突智/かぐつち”)を宿すのですが、いざ、お産の時になると火産霊神が火の神であるが故に大火傷を負ってしまい、そのまま神去ってし(逝去)まうのです。なんとも悲しいお話‥オロオロ。

この後、青春ラブストーリー的に夫神であるイザナギ神が「黄泉の国(あの世)」へ、妻のイザナミを取り戻しに行くストーリーが展開していきます。

なお、日本書紀によれば、お産後、焼け死のうとしているその瞬間、当神社に配祀される「水神・罔象女神(みつはのめのかみ)」を産んだとされています。

愛宕神社の御朱印・御朱印帳について

愛宕神社の御朱印および御朱印帳については下記ページにて詳しくご紹介しています。

愛宕神社の所在地(地図)

  • 住所:東京都港区愛宕一丁目5番3号

愛宕神社の場所と交通アクセス(最寄駅など)

愛宕神社は東京タワーからは徒歩約13分離れているため、距離を感じますが、歩くとほぼ直線上に来れますし、周囲には何かと見どころとなるようなものがありますので、散策を楽しみながら訪れることができます。

  • 日比谷線:虎ノ門ヒルズ駅 / 徒歩5分
  • 日比谷線:神谷町駅 / 徒歩5分
  • 銀座線:虎ノ門駅/徒歩8分
  • 三田線:御成門駅 / 徒歩8分
  • JR:新橋駅 / 徒歩20分
最寄りバス停からの所要時間
  • 都営バス:渋88(新橋駅~渋谷駅)「虎ノ門三丁目」下車すぐ
  • 東急バス:東98(東京駅南口~等々力)「愛宕山下」下車すぐ

肢体に自信のない方はタクシーだと便利!

愛宕神社への道のりは急勾配になっていることから、健脚の方でも息が上がるほどです。

肢体に自信のない方はタクシーを利用すると便利です。

タクシーだと女坂のさらに右側nある自動車専用道路を通って山頂まで行ってくれるので、下界から一気に山頂までワープできます。

ただ、夏時期に参拝される方で、茶屋にて名物の美味しい梅かき氷を食べたい方は自力で出世の階段を昇ることをオススメしておきます。

汗だくで食べるかき氷は味が一味二味と変わる!これは間違いではない。マフっ

愛宕神社の駐車場

一般参拝者でも利用できる駐車場が愛宕山の山頂(境内併設)にあります。

ただし、主にご祈祷や結婚式、祭礼などの方が優先になってしまうことに加え、収容台数がわずか5台前後ということもあり、付近周辺のコインパーキングなどを案内されています。

このため付近周辺の駐車場を探すことになります。

愛宕神社付近の駐車場一覧

愛宕神社の付近周辺の観光・見どころ

NHK放送博物館

知ってましたか?

毎年年末に放送される紅白歌合戦でスッカリお馴染みのNHK発祥の地が、この「愛宕山」だということを。

かつては「東京放送局」と呼ばれ、この愛宕山から電波を発信していましたので、愛宕神社境内の目の前にはNHKの旧・東京放送局の社屋がありまする。

ただ、NHKは現在、渋谷に移転していますので、建物内ではNHKの歴史や番組で実際に使用されていた機具やマスコットキャラの被り物、そのほか、玉音盤など3万余数が展示される「NHK放送博物館」として利用されています。

このNHK放送博物館は、世界初の放送専門博物館として1956年(昭和31年)に開館。2016年(平成28年)に放送開始90周年の記念事業としてリニューアルオープンしています。

NHK放送博物館についての詳細は下記ページにて詳しくご紹介しています。

芝公園

港区役所周辺には公園が点在していますが、この公園を芝公園と言います。芝公園は往時の増上寺境内地に造成された公園であり、現在では空き地を公園として活用している背景もあり、点在する形になっています。

そういう意味合いでは少し異質の公園です。

増上寺から愛宕神社へ向かう最中にも通ると思いますので、休憩がてらに立ち寄ってみてくだすわぁぃ

増上寺

増上寺はこの芝の地ではもっとも知られた寺院です。

歴代将軍のお墓があることから、全国的にも知られた寺院です。

太平洋戦争前までは、境内に歴代将軍の霊廟があったのですが、現在は増上寺境内の一画に移され、ヒッソリそりそり髭剃りなほどにヒッソリとお祀りされています。

増上寺の塔頭(子院)

芝神明(芝大神宮)

地下鉄大門駅を上がって来たところに位置する古社です。

江戸の「だらだら祭り」と言えば、古今東西知られた芝神明の一大行事です。

現在では「芝大神宮」と呼ばれていますが、創建は平安時代と古く、古来、変わらずに地元民を中心に篤い崇敬が寄せられています。

東京タワー

東京タワーを守護する神社

芝東照宮

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